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喫茶店を再興しよう

2022年09月06日 公開
2022年09月08日 更新

古舘伊知郎(フリーアナウンサー)

 

視線の暴力

――肺癌の原因はたばこだけとは限らないのに、煙たがられるのが不思議です。

【古舘】世の中の出来事は、さまざまな要素が複合的に絡み合っています。新型コロナウイルスの感染も同じです。変異するウイルスの種類や飛沫の量、社会的距離に加え、個人の体質や免疫も複雑に絡み合っている。ひと口に免疫といっても、基礎免疫から細胞性免疫、中和抗体までいろいろです。さまざまな要素を総合的に見たうえで、ウイルスと戦う、あるいは共存するという判断を下さなければいけない。居酒屋やマスクをしない人を悪者にするだけでは、社会も経済も立ち行きません。ウイルス学の専門家からも、曝露量が少なければ感染の確率は低い、という声があります。にもかかわらず、まだ飲食店を悪者にするんですか、と。

喫煙者も同様で、たばこを吸う人は徹頭徹尾、悪者のカテゴリーにトラクション(牽引)されてしまう。物事の原因を一つに帰結させてすっきりしようとする考え方が、さらに不寛容を助長していると思われます。

インターネットやSNSで拡散される陰謀論にも、似た傾向を感じます。「闇の支配者」や「影の政府」「悪の秘密結社」が世界のすべてを動かすとばかりに、一つの原因に問題を収斂させたがる人が多いのではないでしょうか。

――しかし誰も自分の目で黒幕を見たわけではなく、本当のところはわからない。

【古舘】そう。僕たちは「わからないこと」や「測定できないもの」を「闇」や「暗黒」と呼ぶわけです。宇宙のなかで、科学によって特定できる物質の割合は5%程度にすぎない、という。残りの95%は、暗黒エネルギー(ダークエネルギー)と暗黒物質(ダークマター)。じつはこの割合は、脳における意識と無意識の割合に等しいそうです。脳科学の知見では、人間の意識で行動を司る脳の領域は約5%にすぎず、残りの95%は無意識の領域だといわれます。

――簡単に「因果は明らか」とか「たばこを吸う人はマナーが悪い」とか決めつけないほうがいいですね。

【古舘】喫煙者への視線とよく似ているのが、マスクをしない人への視線です。僕も一年以上前、うっかりマスクをつけるのを忘れてエレベーターに乗り込んだことがあります。

すると瞬間、中にいた二人の女性がすごい形相で僕を睨みつけてきた。あの犯罪者を見るような目つきは、いまでも忘れられません。まさに視線の暴力。慌ててバッグに手を突っ込み、マスクを取り出すや、ビニールの包装から取り出す間もなく日舞のごとく体をひねって口に当て、「すみません。いま準備段階に入ったところです」と意味不明の言い訳を口走ったことがあります(笑)。

対照的なエピソードとして、同じく僕がエレベーターに乗ったところ、マスクをつけていない男性がいました。エレベーター内の前面が鏡張りになっており、たまたま当時、鼻の頭にあった面疔のでき物が気になって鏡を見つめていたんです。すると、彼が狭い空間に轟くような声で「デルタ(ワクチン)やってるんで大丈夫ですから!」。びっくりして「いや、面疔ができていて」というのも聞かず、再び「デルタやってるんで!」。面疔とデルタ、おそらく二度と出合うことのない言葉の組み合わせでしょう。

――まさにディスコミュニケーション。余裕のない社会の表れです。

【古舘】みんな大変なんです、マナーやらエチケットやらで。日本は皆が一緒じゃないと落ち着かない国なので、「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)と悠長なことをいっていられない。集団生活を営む農耕社会のメンタリティが、少数派を排斥する悪い方向に表れている気がします。

以前、ある学者のコラムを読んで思わず膝を打ったのは、「すみません」は日本語独自の言葉で、厳密に対応する外国語はない、という。

「すみません」が意味するところは、感謝プラス謝罪です。たとえば個人商店に入るとき、「すいませーん」と声をかけますね。しかし考えてみれば、なぜお客が店に入る際に謝る必要があるのか。理由を煎じ詰めると、まず他者のプライベート空間に入ることへの謝罪、そして自分の接客に時間を割いてくれることへの感謝です。

あるいは相撲の観戦中、他のお客が座っている桟敷席の前を、手刀を切りながら「すみません」といって横切る。これは同じく、他者の空間を歪めてしまうことに対する謝罪です。相手に迷惑を掛けている、という後ろめたさが「空間を切る」しぐさとなって表れる、という。

――何という低姿勢でしょう(笑)。

【古舘】日本人って、本当に変わった人たちですよ。僕が幼稚園に上がる前くらいのころ、東京の下町では昼間から泥酔したおじさんが街を歩いていました。電信柱におしっこをする姿を見ると、親は「見ちゃ駄目」といって僕の手を引き、足早に立ち去っていました。

ところがある日、ポストの隣に立つ電信柱に小便をしていた酔っぱらいがふと我に返り、柱を見上げながらこう歌うんです。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」。

この公序良俗に反する無法と、己を責める謙虚が同居する精神の二重構造はいったい何なのか。いずれにせよ「私という存在がいなければ、この空間は汚されなかった」という意識は、日本人特有のものです。

僕は日本人のこうした複雑さが面白いと思っていて、世の中を単色に塗り固めようとする風潮があまり好きになれません。その半面、多数派に同調してしまう狡さが自分の中にあるのも知っています。「昔はよかった」という単純な話でもないし、以前の日本にも差別や犯罪はたくさんありました。それでも、無菌状態を求める清潔志向がかえって人間の免疫力を落とすように、多様性を排する空気が社会の力を弱める気がしてなりません。

 

心の止まり木を求めて

――何とか日本に、活力を取り戻したいものです。

【古舘】かつて狩猟・採集時代の男性が獲物を倒し、意気揚々と共同体に持ち帰るときには、おそらくテストステロン(男性らしさを司るホルモン)を分泌して生き甲斐を感じていたことでしょう。ひるがえって現代の男性は、テストステロンを出すような場がどこにもない。と思ったら、ちゃんとあったんです。

――どこでしょうか。

【古舘】何を隠そう、たばこを吸ってお酒を飲むスナック、居酒屋。カウンターの奥にいるママや女将さんに「全然、儲からないよ」と愚痴をこぼし、「ちゃんと頑張ってるじゃない」「少なくともうちには経済貢献してくれてるわよ」と誉められることで、テストステロンを分泌してきたわけです。

ところがコロナの自粛要請以来、個人営業のスナックや居酒屋の場が経営難で夜の街から消えつつあります。すべてがフランチャイズ店のカフェや居酒屋になったら、男たちは話し相手を失い「俺の人生、いったい何をやっているのか」と落ち込むばかりです。

そこで訴えたいのは、喫茶店の再興です。都会というのは「立ち止まることを許さない」ところがあります。田舎のベンチでおばあちゃんが日がな一日、腰かけていてもいいのに、六本木の交差点であなたが数時間立っていたら職務質問に遭うのがオチです。図らずもコロナ禍で「人流抑制」が課題とされたように、都会においては本来、人は流れなければいけない。とにかく経済と人を回し、立ち止まらせないことが現代社会の掟です。

しかし喫茶店だけは唯一の逃げ場で、僕たちを立ち止まらせてくれた。ボウリング場でボールを投げなかったら怒られますが、喫茶店でボーッとたばこを吸い、一杯のコーヒーで1、2時間粘っても問題ない。そうした心の止まり木がいま、至るところで破壊されています。チェーン店のカフェにスツールのような高い椅子が置かれているのは、お客の回転率を上げるためです。何時間も長居されると売り上げが落ちるので、早めに席を離れてもらう。昔のように、人工皮革の安っぽいソファーで時間を潰させてはくれないわけです。

――ゆとりのある時間と空間が失われている。

【古舘】だからこそ僕は、喫茶店を増やしたいんです。多様性のないグローバルで均一なカフェではなく、「喫」「茶」すなわち「たばこ」「コーヒー」が一体に味わえる場所を。柔道がJudoとなって世界に広まったように、Kissatenが新たなかたちで蘇ってほしい。

さらに分煙を意識すれば、銭湯の「男湯」「女湯」のように、「無煙」「煙」のような暖簾を二つ下げ、一つ屋根の下に入口の分かれた喫茶店や居酒屋をつくる。このご時世、個人が二店舗を立ち上げるのは無理でしょうから、オーナーは別々で続き長屋のようにして自治体も助成金をつけようよ、と。コロナ下の営業制限で経営を圧迫した分、それぐらいの償いはしてもいいんじゃないでしょうか。後ろめたさなく好きなものを味わえる仕組みづくりですね。

また、よくポケットにウイスキーを入れる銀製の小ボトルがあるでしょう。あんな感じで上着の懐から取り出す小粋なデザインの携帯灰皿、たばこ入れがあれば、洒落たファッションアイテムになります。

残る問題は、いわずもがな副流煙です。「あなたの煙が迷惑だ」といわれたら、ぐうの音も出ませんから。しかし、日本はウォークマンを生んだ技術立国ですよ。半導体は米韓台の後塵を拝しているとはいえ、かつて世界一厳しい自動車の排ガス規制をクリアし、現在でもCO2を抑制し、排ガスから硫黄酸化物を除去する石炭火力発電所の「排煙脱硫技術」は世界のトップを誇ります。日本の技術力をもってすれば、たばこの煙を吐いた瞬間に副流煙・タールを瞬時に吸収・除去する携帯式のポータブル装置を生み出せないはずがない。誰からも後ろ指を差されずたばこが吸える日が近い将来、来ると僕は信じています。

 

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