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喫茶店を再興しよう

2022年09月06日 公開
2022年09月08日 更新

古舘伊知郎(フリーアナウンサー)

古舘伊知郎

後ろめたさなく、好きなものを味わえる社会の仕組みは、はたしてどのようにつくればいいのだろうか――。愛煙家としても知られるフリーアナウンサーの古舘伊知郎さんに話を聞いた。(取材・構成:編集部)

※本稿は『Voice』2022年9⽉号より抜粋・編集したものです。

 

禁煙はあくまでも「名目」

――古舘さんのたばことの出合いは。

【古舘】明治生まれのおじいちゃんが使っていた煙管をいい香りと思って(もちろん中身は空です)吸ったのが最初ですね。76歳で死んだ親父も大のたばこ好きで、おまけに大の几帳面。就寝前、翌朝に持参するものを七つ道具のようにテーブルの隅にセットしていました。セブンスターと銀の爪楊枝が必ず置いてあり、爪楊枝の用途が長いこと不明だった。「何に使っているんだ」と尋ねても「男のくせに細かいことを聞くんじゃない」といって答えない。

ところがのちに、親父のほうがよっぽど細かいことが判明しました(笑)。セブンスターを20本入りのソフトケース(紙箱)から取り出す際、まず包装の銀紙は引き破らず、丁寧に切って端を折り畳む。そして最初の一本を取り出すとき、強引に手で引き抜くと、柔らかい箱が歪んでしまう。そこで形を崩さないようたばこの頭に爪楊枝を刺し、空間を残したままきれいに引き抜いていたんです。妥協を許さない徹底ぶりでした。

――愛煙家の美学ですね。

【古舘】そういう家に育ちましたから、喫煙はもう宿命みたいなものです。

幼いころ、映画館で大人の吸うたばこから立ち上る紫煙越しに銀幕を見ていました。中学生になるあたりから、スクリーンの両側に「禁煙」の文字が掲示されるようになった記憶があります。ただし、この表示はあくまでも「名目」。いちおう禁止とは銘打つけれど、あまり目くじらを立てず気にしないでね、というメッセージで実質、たばこが許容されていました。

僕が20代、30代のころは、スタジオでの生放送の収録中、CMの合い間にタレントさんや司会者が喫煙していました。プロレス中継の実況中、吸っていた先輩もいたぐらいです。さすがにニュースを読むあいだに吸う人はいなかったけれども、バラエティー番組のスタジオ内には必ず、たばこを吸うための一角が設けられていた。この暗黙の了解というか、白黒つけずに「清濁併せ呑む」ライトグレーの感覚が徐々に失われてしまった感があります。

 

わが心のふるさと

――いまや、たばこは100パーセント悪であるかのような雰囲気です。

【古舘】もちろん、いかなるものも過剰摂取はよくないのであって、お酒をひたすら飲み続けるのも、いうなれば「緩慢な自殺」です。「とりあえずビール」で毎晩、憂さを晴らし続けたサラリーマンが40年後、定年退職を迎えるころ臓器に変調をきたしてしまうこともある。飲酒を禁じるイスラム圏を含む「世界のドラッグ」ベスト5にも、つねにアルコールが入りますから。それでも僕たちがお酒の力を借りながら仕事を頑張れるのは事実だし、中毒というならパチンコやコーヒーも同じです。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は著書『ホモ・デウス』(上巻)で、21世紀の死因について記しています。2012年に全世界で亡くなった約5600万人のうち、暴力(戦争、犯罪)による死者が約62万人、自殺者が約80万人です。しかし、さらに多いのは何と糖尿病による死者(150万人強)。ハラリ氏いわく「砂糖のほうが火薬よりも危険というわけだ」。

もちろん、ケーキビュッフェでスイーツを食べ、リラックスして楽しいおしゃべりに花が咲くのは結構なことです。同様に、シガーバーで葉巻を吸ってくつろぐのが許されるなら、パイプや紙巻きたばこを吸うのも同じく有意義なこと。たばこは他の嗜好品と異なり、「目覚め(覚醒)」と「リラックス(沈静)」を同時に与えてくれる稀有なものです。要は「過ぎたるは及ばざるがごとし」であって、あらゆるものは体によいともいえるし、悪いともいえる。たばこだけを悪者にせず、もう少しフェアに見てみませんか、と。

僕は仏教が好きなんですが、仏教の観点から見て健康をすべてに優先させたいのなら、最善の状態は「死」です。お釈迦様が説かれるように、生きることは苦しみであり、解脱して輪廻の輪から外れれば二度とこの世には生まれず、いっさいの病や苦痛、欲望から解放される。

でも、少なくとも僕は生きたいという我欲を望んだ人間です。現在は喉の関係で禁煙しており、ニコチンからも離脱してますが、酒の席で吸っている人が隅にいると、煙欲しさに「席替え」することがあります。

「さあ、前頭葉が徐々に緩んでまいりました。これだけ満足できるアルコール度数でありながら、さらに酒を胃の腑に落とし込み、酩酊しようというのは、前頭葉の閾値を超えて緩ませ、最終的にはたばこを一本もらって思いきり喫煙し、この夜を締めたい、という思惑なのでありましょうか」といいながら。

――出ました、古舘流のたばこ実況(笑)。

【古舘】それぐらい好きなんですよ、たばこが。紙巻きたばこを片手に持ち、唇の手前で寸止めしつつデュポンのライターをカキン、と開ける音を確認する。ちょっとじらして唇にスポッとシガレットを挟んだときの、上唇と下唇のえもいわれぬ感触。たばことの前戯、ディープキスです(笑)。そして先端にポッと火をつけ、グーンと煙を吸い込むと、気道から肺にクンと重い感じが走る。そこから再びスーッと息を戻すとき、脳内の受容体がニコチンをキャッチし、脳内物質のセロトニンが放出されて多幸感がもたらされる。

「たばこを吸う」といいますが、特筆すべきはフーッと息を長く吐いたときの幸福感。たばこの大きな効能は、「煙の出る深呼吸」という点です。僕にとっては「わが心のふるさと」で、喫煙がもたらす快楽の記憶から一生、抜け出ることはないでしょうね。

いまもわが家のキッチンの棚の奥には、ワインと一緒に僕専用のたばこが鎮座しています。そっと隠した宝物を時おり確認するように眺めながら、昔の出来事や父のことを思い出す。幸せな時間ですね。

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