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全てが「ネット越し」の社会の落とし穴...コロナ対策を失敗させた「過剰可視化」の発想

2022年08月17日 公開

小川さやか(文化人類学者)&與那覇潤(評論家)

 

不確実性を「可能性」に変えるために

【與那覇】一貫性がモラルになりえるのは、本人が「自分なりに」考えて維持する場合だけですよね。周囲の空気に合わせた「正しい答え」に固執するのでは、ただの同調圧力になってしまう。

危機や混乱を予防的に回避し、トラブルが「決して生じない」と確約させようとするコロナ禍以降の世相にもそうした構図があります。

日本人の「一貫性の病」の起源を探った研究に、精神科医の中井久夫さんが書いた二宮尊徳論(『分裂病と人類』東京大学出版会所収)があります。尊徳の思想は、江戸時代の稲作社会に合わせて「日本化された儒教」で、みずからの生業(農業)を貫けば必ず食べていけることが前提になっている。

だから、時とともに荒れ果ててゆく田畑を手入れして元に戻す「立て直し」だけが正しい道徳で、秩序を根本から新しく入れ替える「世直し」は中国・朝鮮の儒教と異なり忌避されるのですね。

そうした「健気さ」が明治維新以降も、モラル・エコノミー(こうあるべきだと観念される経済秩序)として日本の近代化を支えたのですが、それはリスクとみなした異物の芽を摘み、排除する志向とも一体です。

未知のウイルスであれ、SNSで目にした異なる意見であれ、自分がいまいる秩序を「乱しそう」なものは徹底ブロックして、存在自体をゼロにしたくなってしまう。

これに対してチョンキンマンションのタンザニアの人たちは、商売はあてにならないし、誰が「頼りになる人」かもその日ごとに替わってOKだとする。不安の種を予防的に取り除くよりも、むしろ不確実さを積極的に受け入れて他者を歓迎しながら生き延びていく、日本人とは正反対のモラル・エコノミーを感じました。

【小川】不確実性とは、裏返せば可能性です。自分の人生がどうなるかわからないことは、どうにでもなりうるという希望でもある。彼らの姿勢は不確実性恐怖症に罹っている私たちには新鮮です。

最近、従業員の副業を解禁する企業が増えていますよね。副業が解禁されれば、自分がやりたいことができるかもしれないし、副業で得た経験を本業に還元できるかもしれない。でも日本では副業解禁をめぐり、馘首が容易になるのではと心配する声が少なくありませんでした。

タンザニアの友人には「サヤカは1つの仕事しかやっていないの? 一緒に中古車を売る? いつまで大学教員として働けるかわからないでしょ」と聞かれたものです(笑)。

【與那覇】「親子代々、地元で家業を継いでゆく」時代なら尊徳のモラルも機能したのですが、変化の速い現代では「孫の代のことを考えて」といった時間感覚は通用しません。

結果として日本人の知覚が刹那的になり、「いま」ポジティブに演出されている選択肢に群がるルッキズム(見た目偏重)の傾向が強まっています。

しかしタンザニア人の「その日暮らし」のモラルには、歴史的な長い時間軸をもたない点では今日の日本と共通でも、ネガティブさもみんなでわかちあって乗り越える明るさがあるのですね。彼らのあり方には、過剰可視化社会の閉塞を和らげるヒントが満ちています。

 

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