(写真:まるやゆういち[左]、吉田和本[右])
新型コロナ禍で日本の課題が浮き彫りになるなか、政治家の「言葉の力」にも注目が集まった。政治と国民はいかなるコミュニケーションをとるべきか。行政・規制改革担当とワクチン接種担当を担い、「次期総理に最も近い政治家」と呼ばれる河野太郎大臣と、科学を駆使した社会変革を実践するデータサイエンティスト・宮田裕章氏が特別対談(聞き手:亀井善太郎[政策シンクタンクPHP総研主席研究員])。
※本稿は『Voice』2021年4⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。
――(亀井)コロナ禍によって、政治家の「言葉の力」にも注目が集まりました。デジタル化においては国民への説明と説得が重要とのお話がありましたが、リーダーはどのようなメッセージを届けるべきでしょうか。
【宮田】一つは今回のコロナでも浮き彫りになりましたが、データや根拠に基づいて発信することです。最近の言葉に置き換えれば「エビデンス・ベースド・ポリシー」です。
指導者が国民から人気を得るには、ドナルド・トランプのように、人びとの瞬発的な感情に訴える手法がありうるのは事実です。ただし、データの利活用が当たり前になった現代社会では、たとえば感染拡大の事実を隠そうとしても、あらゆる機関から発表される数字から逃れることはできません。
もう一つ大切なのは、「ダイバーシティ&インクルージョン(多様かつ包括的)」なメッセージです。政治リーダーは国民を平均値に押し込むのではなく、多層的なネットワークに言葉を届ける必要があります。
誰しもが一つの集団ではなく、家族や職場、趣味友達など、いくつかのコミュニティに属しています。そうした個別の集団にいかに寄り添っていけるかが、新たな時代の民主主義において重要だと考えています。
【河野】リーダーの発信の問題にも繋がりますが、日本全体の言論について気がかりなのが、昨今のSNS(ソーシャルメディア)の状況です。誰もが情報を発信できるようになった半面、それがあまりに攻撃的になっているのではないか。
道ですれ違った人をいきなり罵倒することはないのに、SNSでは読むに堪えない罵詈雑言があふれている。ツイッターで「安倍」とか「菅」などと呼び捨てで非論理的に罵っている人のプロフィールをみると、若者の師たる大学教授である場合も散見される。
我が国の言論空間はどうしてしまったのか。そうした強烈な危機感を抱いているのが正直なところです。たとえば、夫婦別姓について議論するのであれば、当然ながら政策の功罪を議論すべきです。しかしSNSでは、相手の人格否定に終始することも少なくありません。
自分と意見の異なる人を見つけると、「あいつは売国奴だ」という決まり文句を浴びせる有り様です。コロナ禍の閉塞感もあってか、SNSで触れる意見の幅はよりいっそう狭まっているのではないでしょうか。
SNSとは本来、正しい方向で利用すれば、多様な意見に触れて人間の幅を広げる有用なツールです。これからもその強みを活かさない手はないし、現に私も利用しています。
一方で、クリティカルシンキングやメディアリテラシーとともに、SNS時代の「礼節」も学校現場で教育する必要があります。もちろん、我々政治家自身がその模範とならねばなりません。
【宮田】インターネットの普及で脱工業化が進み、個性が重視される時代になりました。ところが、次第に今度は個性が過剰に解釈されてしまい、他者への攻撃性に繋がってしまっている面があると思います。
私が拙著『データ立国論』(PHP新書)で訴えたかった点ですが、独りよがりのウェルビーイング(幸福な人生)は決して長続きしません。コロナではウイルスの実行再生産数(一人の感染者から何人に感染が広がるかの指標)によって国と国民の命運が左右されるように、このまま独善的な個が広がっていけば、人類の存亡そのものに関わるでしょう。
人びとが多様に繋がることで豊かになれるような、インクルーシブな動きを促す必要があります。それこそまさしくデジタルな発想であり、その源泉となるデータの利活用が将来のカギを握っているのです。
更新:11月21日 00:05