Voice » 喫煙規制と喫煙所難民を考える
2022年08月05日 公開
2020年の改正健康増進法の施行に伴い、社会問題の一つに挙げられるようになった「喫煙所難民」。パターナリズムなどの観点から、その問題点や今後を考える。(取材・構成:編集部)
※本稿は『Voice』2022年7⽉号より抜粋・編集したものです。
――瀬戸山先生は生命医科学技術や現代医療で生じる法的・倫理的・社会的諸問題(ELSI)を考えるとともに、自由・自律とパターナリズム(本人の福利のために自由を制約する規制原理)について各所で論じています。
近年、社会問題の一つに挙げられるのが「喫煙所難民」。改正健康増進法の施行(2020年4月)に伴い喫煙室環境への規制が厳しくなったことで、行き場を失った喫煙者が公園や駐車場に集まり、たばこを吸う光景が散見されます。どのようにお考えでしょうか。
【瀬戸山】まず、最初に私自身はたばこを吸わず、またたばこ業界との利益相反(株主配当や役員報酬とか研究費をもらっているといった経済的利益などの利害関係によって、公正な判断や発言が妨げられること)がない立場であることを初めに開示しておきます。
それから個人的なことを申し上げれば、昨年他界した私の母が大変な愛煙家でした。カナダからの帰国子女で、米国の大学院に留学経験中にたばこを覚えて日本に戻ってきてからも50年以上、吸っていました。少年時代、祖父母や両親が皆たばこを吸っており、私はいつも副流煙に悩まされました。ヘビースモーカーであった当時40歳代の父を急性心筋梗塞で小学生のときに亡くしているので、その意味で現在も喫煙に対して一定のバイアス(先入観)があることもお断りしておきたいと思います。
これらを開示したうえで、「喫煙所難民」の問題を考えてみましょう。私の院生時代、大学では自分の教授室内でたばこを吸う先生がいました。前の勤務大学では、健康増進法の施行に伴って大学の敷地内に喫煙所が設置され、そこに喫煙する教職員が集まり吸うようになりました。近年は大学の建物の中は全面禁煙になっているところがほとんどで、敷地内でも一切喫煙ができなくなってきているところもあるようです。他の職場でも同様に、オフィスでたばこを吸う場所がなくなった人びとが公園や道に出てたばこを吸い、小さな子ども連れのお母さんなどが煙で迷惑を被る、という事態が起きてしまったわけです。
私が米国に留学していた20年ほど前には、ニューヨーク州マンハッタンのオフィスビルで働く弁護士が全面禁煙で煙草を吸えなくなり、集中力を維持するために橋を渡って、まだ禁煙の法規制がない隣の州のカフェまでわざわざお金と時間を使って行って仕事をする、という報道(エピソード)が話題になっていた記憶があります。
――何が根本的な誤りなのでしょうか。
【瀬戸山】喫煙所難民の問題を考えるうえでのポイントの一つは、法律や条例が導入される際に「社会にどんな波及効果をもたらすか」が十分に考えられておらず、事後的な検証も足りない点です。
医学の臨床研究と比較してみると、たとえば新しい薬や手術手技の方法や先進医療機器を開発する際に、その安全性(副作用などのリスクの忍容性)と有効性(従来の薬や標準治療と比較した際の優位性)を検証する臨床試験に長い年月を費やすのは、ごく普通のことです。新型コロナウイルスのワクチン承認は例外中の例外です。新薬の開発でいえば、薬の候補を発見するのに数年をかけたのち、まず動物実験を行なって有効性と安全性を確認し、そのあとに薬事承認を得るためのデータを集める「治験」を第一相、第二相、第三相の三段階で行ないます。
最初は第一相で副作用が出ても大丈夫な健常なボランティアに治験薬を試してみて、安全性に問題がないことを確認したのちに、少数の患者さんに試してみて新薬・医療機器の有効性と安全性、副作用を調べます(第二相試験)。そこで一定のよい結果が得られると次に患者さんの対象数を増やして、治験薬投与群と偽薬(プラセボ)が投与される群あるいはこれまでの標準治療法の群とを比較して、有効性や優位性を確かめるデータ収集を丹念に行ないます。そうしてはじめて、厚生労働省に新薬や医療機器の薬事承認申請ができます。
さらには、薬事承認が下りたのちも市販後調査が行なわれます。治験段階ではわからないような長期的使用によって生じる副作用がないか、将来の悪影響など臨床試験のみでは見つけられなかった問題がないか、事後的に検証していくわけです。
――たいへん慎重かつ丁寧ですね。
【瀬戸山】ところが法律や条例をつくる場合、往々にして成立時の政治的パワーバランスがその導入の可否に影響を及ぼします。規制の有効性よりも、声の大きな支持組織や団体のロビー活動や与党内の力関係、さらに外圧による影響が大きいといえるでしょう。
喫煙規制強化の改正健康増進法の引き金の一つとなったのは、東京オリンピック・パラリンピックの開催でした。他の先進国に比べて日本は禁煙後進国であるという汚名が、成立を後押しした側面が大きいといえます。
労働規制に関する法律を見ても、たとえば改正労働契約法(2013年4月)で「有期雇用の労働者について契約を更新した結果、通算五年以上の勤続となるような場合、無期雇用に転換を求める権利が付与される」ようになり、6年目になる前に有期雇用の労働者を軒並み事業主が雇い止めにする、という現象が生じてしまいました。不安定な雇用条件下の有期雇用の労働者を保護しようとしてつくった法規制が、かえって労働者を雇い止めといった不利益な状況に追いやってしまう、という本来の立法趣旨に反する皮肉な結果が生じているのです。
――法律や条例ができた結果、現実社会に何が生じるかについて想像、シミュレーションしていない。
【瀬戸山】これはなかなか難しい問題で、同じく法律で働く女性の権利を守り、ワークライフバランス推進と女性の社会進出を後押しする目的の育児休暇などの保障を手厚く求めるほど、企業側は同程度の能力なら育児休暇の権利行使の可能性が高い女性の採用を控えて男性のほうを雇ってしまう、という差別的な人事を助長する結果になる事態も生じます。
近年の喫煙所難民についても、職場の喫煙所を廃して非喫煙者の福利を守ろうとしたはずが、行き場を失った喫煙者が喫煙場所を求めて敷地外に出て、路上や公園で喫煙し、その副流煙などで他者に迷惑を掛ける、という結果になります。つまり、仕事の同僚や客は副流煙から守られますが、そのつけが他の者に転嫁されている構造を生じさせているわけです。
他方、分煙という選択を行なって敷地内や屋外に喫煙所を設けた場合、たばこを吸う人は昼休みなどの休憩時間にニコチンを摂取し、仕事に集中できるという側面はあります。
また、前任の大学に勤める喫煙者の先生たちは、喫煙所のメリットについても話していました。喫煙所にいると、日ごろ話をしないような他の学部や専門の異なる先生と出会い、話をする機会が生まれたり、たばこを通じて事務の方とも貴重な情報交換や人間関係を広げる場になっていたそうです。
改正健康増進法の趣旨が副流煙による望まない受動喫煙を防ぐことだとしても、生産性の話は副次的ながら、とくに知的生産に携わるような労働者に対してリラックスや覚醒の効果をもたらし、作業効率のパフォーマンスに影響を及ぼす点は、見逃されてはならないと思います。
私自身、いつも仕事が多忙でどうしても睡眠不足に陥りがちです。寝惚けた頭で講義や会議、プレゼンテーションに臨むわけにはいかず、刺激で眠気をスッキリさせるような栄養ドリンクに頼らざるをえない。ご承知のとおりこの種の飲料にはカフェインが含まれており、中毒といえばそうなのかもしれません(笑)。
――改正健康増進法が所期の目的を果たせていない現状においては、喫煙所の存在はやはり必要だと思われます。瀬戸山先生は、たばこを吸う人も吸わない人も納得できる自由と規制の線引きはどこにある、とお考えですか。
【瀬戸山】喫煙の副流煙による他者加害リスクと自身の健康被害という自己リスクを伴う行為については、社会哲学者ジョエル・ファインバーグが規制原理を目的の観点から整理した「自己決定を制約する法規制の四原理」による説明が参考になります。
イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で唱えたように、他者に対して物理的危害を及ぼす行為を禁止し、自分以外に危害を及ぼさない行為は個人の自由として認め、法的規制の対象とするべきではないとする考え方です。
私が米国留学をしていた今世紀初め、ニューヨークのマンハッタンでは公共施設やバーですら全面禁煙になりました。当時の規制に至る根拠は、従業員を副流煙による健康被害から守る危害防止原理ということができます。一方でこの原理を拡張解釈すると、公共の福祉に反する、あるいは医療費など公共の負担を増す場合には規制すべし、という議論につながる可能性があります。
もう一つの規制原理は、物理的危害とまではいえないけれども、個人の受忍限度を超えた不快なもの、あるいは精神的危害を及ぼす行為を禁止するというものです。街中の騒音規制や、一定の広さのレストランでの分煙は、不快防止原理が規制根拠となっています。
これは不道徳な行為の法的禁止、社会道徳を「強制」する規制原理です。イギリスの裁判官パトリック・デブリン卿や共同体論者は同性愛と売春の法規制の是非をめぐって、この原理による法的禁止の主張を行なっています。
たばこの問題を考えるとき、近年では不快防止原理、道徳強制主義の側面がより強くなっていることは指摘しておくべきでしょう。喫煙者がマジョリティー(多数派)だった時代は問題視されなかった「不快防止原理」「道徳強制主義」の原理が、喫煙者がマイノリティー(少数派)になることで日本社会にも強く認識されるようになってきた。たばこの煙に対する人びとの免疫(許容度)が昔よりも落ちているということです。
これはH・L・A・ハートによる自己決定のもたらす「自己危害」や「その本人の福利の減少を生じさせること」を防止する原理です。自己決定が、公共の福祉や第三者や社会の道徳などに悪影響を及ぼすことを防止するためではなく、自分自身の福利に与える悪影響を問題にするという点が他の規制原理と異なる特徴をもちます。
例として、代理母契約、嘱託殺人罪など当事者間の同意のある被害者なき犯罪、未成年者の同意制限、強制的に年金や健康保険に加入させる制度、宗教上の理由による輸血拒否など。たばこに関して、将来の健康への影響を考慮した未成年者への喫煙規制は、このパターナリズムが根拠になっているといえます。
パターナリズムのなかには、「強制的パターナリズム」というものもあります。たとえば多くの人が肥満になったり、健康を害して早死したり、返済不能な借金に悩まされたり、老後の不十分な蓄えで苦しんだりする現代の米国の状況を見て、彼ら(彼女ら)を救済する手段として、成人していて判断能力がある場合のパターナリスティックな強制的法規制や禁止が必要である、と訴えるサラ・コンリー教授もいます。
――そこまでいくと若干、極端ですね(笑)。近年では、パターナリズムに加えて「リバタリアン・パターナリズム」という考え方があるそうですが。
【瀬戸山】リバタリアン・パターナリズムは、禁止や強制をせずに選択(拒否・離脱)の自由を残しつつ、人びとの自己決定や行動を本人にとってよい方向へ「ナッジ」する考え方のことです。
ナッジというのは「注意や合図のために人の横腹をとくにひじでやさしく押したり、軽く突いたりすること」「他人に注意を喚起させたり、気づかせたり、控えめに警告したりすること」(詳細については、私も章の一つを執筆した那須耕介・橋本努編著『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』勁草書房、2020年を参照)。具体的には、たばこのパッケージに記された健康への但し書きなどです。注意喚起やリスク判断のバイアスを是正するという意味があり、「非強制的パターナリズム」ということもできるでしょう。
――やはり人間、強制や禁止だけでは動かない。自由の概念を包摂するリバタリアン・パターナリズムが生まれた背景は、どの辺りにあるのでしょうか。
【瀬戸山】リバタリアン・パターナリズムは、認知心理学の知的洞察(知的遺伝子)を経済学に応用(移植)した行動経済学の議論から生まれています。
オバマ元大統領のブレインを務めたハーバード大学ロースクール教授のキャス・サンスティーン教授や、2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授たちは、現実の人間は伝統的な経済学の教科書に書かれたような単純な経済合理人(ホモエコノミクス)ではなく、認知過程(思考プロセス)でさまざまなバイアス(歪み)を有することを行動経済学の実証実験などで明らかにしました。
定年前に汚職に手を出してしまうエリート役人や政治家がいるのは、短期的な収賄の利益を求め、懲戒処分により多額の退職金を失う結果になるリスクや摘発されるリスク算定を、バイアスによって実際よりも低く見積もってしまっているといえます。長期的なリスクを低く見積もり、短期的な欲求に従って人間が行動することは往々にしてあります。喫煙継続による長期的な将来の健康被害のリスクよりも現在の喫煙する欲求の充足を優先させる時間割引バイアスや、意志の弱さからやめたいと思っていてもやめられないということは、行動経済学で自然に説明ができます。
――認知バイアスを踏まえた制度設計が求められるゆえんですね。パターナリズムとリバタリアン・パターナリズムの最大の違いは?
【瀬戸山】離脱(選択)の自由の有無ですね。先ほど述べたように、法律や条例、制度というのは長期的・事後的に見てその目的を十分達成できなかったり、新たな問題を生じさせたりする可能性を孕んでいます。保険の例でいえば、日本の国民皆保険制度は、全員に対して一律に強制するパターナリズムであるのに対し、米国で導入され始めている、働き始めた時に自動加入で積み立てられ、やめたくなったらいつでも簡単にワンクリックで解約できる年金制度が、リバタリアン・パターナリズムの例として挙げられています。
嫌な人には強制しない「抜け道」の保障があるからこそのリバタリアン・パターナリズムで、たばこをやめさせるための手段として、禁止したり多くの税金をかけるのではなく、「やさしく押したり、軽く突いたり」「注意を喚起したり、気づかせたり」するナッジをリバタリアン・パターナリズムは主張します。
――屋外喫煙所に話を戻すと、喫煙所難民が溢れる現状はやはり過渡期であり、たばこを吸う人と吸わない人の緩衝地帯としての喫煙所という存在があらためて浮き彫りになってきます。
【瀬戸山】喫煙所の数を増やせば、たしかに条例による摘発者数は減るでしょう。事実、京都市では2008年から現在まで市内の18カ所に公設喫煙所を整備して啓蒙活動をした結果、過料処分件数がピーク時から大幅(6794件から363件)に減ったという報道がなされています(出所:「京都市情報館」2022年5月12日)。
ルールに反して公園で吸うという人間が少なからずいるのであれば、たばこを吸わない人の利害、公共の福祉に照らして政策に反映する必要があります。
たばこの問題を考える際、たばこを吸う人の自由や健康を守るのか、たばこを吸う人の数を減らすのか、たばこを吸わない人の健康をいかに守るのかなど、さまざまな観点があります。
政策上は種々のファクターを勘案しつつ、法律や条例の規制、喫煙所の増設あるいは撤去、たばこ税の値上げの有無、医療機関の禁煙外来の活用など、何が最も効果的な結果につながるかを総合的に判断し、費用対効果も含めて検証しなければならない。
その際、欲しいのはやはりデータです。現状では私は統計学的な情報を有していないので、個別政策の是非に関しては判断を保留せざるをえません。
屋外喫煙所に関しては、たとえば利用料を設けるかたちで個別の有料ブースを設置し、そのなかで喫煙者は自由に吸える、といったアイデアも、先述のナッジを働かせるうえで一案かもしれない。その場合にはコストがかかるので、リバタリアンは正当化しないと思いますが。
現在の喫煙所は狭い場所に密集するがゆえに、吸う人にとって副流煙の被害は増大しています。煙草を吸わない人たちの立場からすれば「何もたばこを吸う人の健康まで配慮して議論する必要はないだろう、自業自得だろう」と思うかもしれませんが、たばこを吸った人が健康を害してその治療に支払われる医療費が増大する場合、多くが皆保険制度の日本では吸わない人の支払った税金や保険料が充当されることになりますので、他人事として済ませてよいのか、という公共的負担の観点も考慮する必要があります。
逆に、喫煙可能な空間を多く設けるために受益者負担の有料の個別喫煙ブースを配置することで、煙草を吸う人同士の副流煙被害を低減し、医療費などの公共的負担を抑えるという議論もありうるでしょう。
更新:10月14日 00:05