その後、石原さんと僕が本格的に政治で手を携えることになったのは、2012年のことです。石原さんが共同代表を担う太陽の党と、僕が代表を務めていた日本維新の会が合流しました。
当時は石原さんも僕も、日本の政治が基本的に「自民党一辺倒」である状況を危惧ていました。僕が大阪維新の会を立ち上げて、やがて国政政党である日本維新の会を創設したのも、自民党に対抗できる野党勢力をつくるためです。
石原さんは過去に自民党の衆議院議員・参議院議員を務めていましたが、自民党の内からでは日本を変えられないと決心し、国会議員を辞された方です。
当時の維新の会の姿をご覧になって「選挙のルールに従って勢力を伸ばして自民党をやっつけていく発想は、俺のなかにはなかったな」とおっしゃっていました。
当時、太陽の党との合流に際しては、日本維新の会のなかでさまざまな意見がありました。むしろ、合流に反対するメンバーのほうが多かったかもしれません。最終的には僕が石原さんとは「肌感覚」が合うと確信して、一緒にまとまることを決意しました。
もちろん、先ほどもお話ししたように、日本国憲法の考え方や原発政策で意見の相違があったのは事実です。学者やメディアからも「政策が一致していないのに合流するなんてけしからん」などと散々批判されました。
でも、石原さんの言葉を借りれば、政治において最も重要なのは「体温が合うかどうか」だと思うんです。石原さんは僕との酒席でよく、ロックグラスに焼酎をなみなみと注ぎ、氷を指でかき回しながら「酒と政治は体温で感じなきゃ駄目だ」とおっしゃっていました。これは、僕が政治グループを形成していくうえで、まさしく痛感した言葉です。
そもそも一定規模の政治勢力をつくろうと考えた際に、メンバー全員の政策理念を完全に一致させることは至難の業ですよ。多様な考えをもった人間が集まる政治の世界では、まず不可能だと言ってもいい。それこそ自民党だって、考え方の異なるいくつかの派閥に分かれているでしょう。
それでも政党としての体を成しているのは、政策の細部に関しては協議のうえ修正・調整し、最後は多数決で決定しているからです。それでいいと僕は思う。
一方で、この人間とは人生を懸けてやっていけるという「体温」が合わなければ、ともに活動することはできません。僕がこれまで関わってきた人を振り返っても、表面的な政策理念は一致していても、「体温」が合わない人との関係は長続きしませんでした。
ところが石原さんとは、意見の違いからたびたび激論に発展しましたし、その後日本維新の会が分党して互いに別の道を歩むことになってしまいましたが、私的な交流は続きました。政治にかぎらず日常の人間関係においても、詰まるところ重要なのは「体温が合うかどうか」なのではないでしょうか。
更新:12月22日 00:05