ジャック・アタリ氏は、つねに一歩下がった冷静な世界情勢分析で定評がある。このインタビューでは、新型コロナ対応、EUの現状、いま最も注視されている中国の動向、世界的に取り組むべきイシューなど、幅広く訊いてみた。
※本稿は、大野和基インタビュー・編『自由の奪還』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
――新型コロナ禍により、世界は一変しました。あなたはパンデミックとの戦いを「戦争」と位置付けていますね。
【アタリ】もちろん、目に見える敵と戦う本当の戦争だと言いたいのではなく、「economyofwar」、つまり戦時体制の経済が必要だという意味です。
いま重要なのは、私が「命の経済(economyoflife)」と呼んで重視している経済分野に、現状は乏しいリソース(資源)を集中させること。そして、資金調達や産業促進を市場に任せてゆっくりと進めるのではなく、戦時体制下のように、強制的かつ迅速に進めることです。
我々がまずやるべきは、将来起こりそうな脅威のリストをつくることです。パンデミックだけではなく、気候変動や廃棄物処理、核拡散イシューなどの社会問題も含めて、具体的にリストをつくり、その脅威を目の当たりにしたときの備えがあるかどうかをチェックする。いまはその備えがありません。
――「命の経済」という言葉は、近著のタイトルにも掲げているキーフレーズですね。
【アタリ】各国の政府や投資家が、最優先すべき一連の経済セクターを指す言葉として用いています。この時代に最も必要とされる要素を象徴しているともいえる。人工的な豊かさにあふれる時代がやってきてから、すっかり忘れ去られてしまったものです。
いま人類は化石燃料、ファッション、プラスチック、自動車、宇宙飛行などにお金を使いすぎています。一方で健康、教育、デジタル、カルチャー、廃棄物処理、衛生、理想的な食物や農業などの分野には十分な投資がなされていない。
これこそが私が「命の経済」と呼ぶセクターですが、世界のGDPに対する割合は40〜60%ほどしかありません。
そもそも、今回のコロナ禍も各国の指導者が医療現場への財政支援を削減してきたのと関係があります。医師や看護師は過剰な負担を求められた。国民の命を大切にする「命の経済」が産業全体の80%以上を占めるように、いまこそ経済構造を再編すべきです。
――ドイツの文化哲学者オスヴァルト・シュペングラーは、第一次世界大戦直後に「西洋の没落」を唱えました。欧州の現状をどうご覧になりますか。
【アタリ】欧州は危機的状況だといわれますが、じつは実態は反対です。EU(欧州連合)諸国は民主国だけで構成されており、世界に大きな影響力をもっています。
EUは感染拡大で甚大な打撃を被こうむっている加盟国を支援するために、1000億ユーロ(約11兆円)規模の融資プログラムを進めるほど一致団結している。米中関係が悪化しているなか、欧州諸国はより結束力を強めるべき局面です。
そのためにはEUが行政機関としてさらにリーダーシップを発揮する必要があるでしょう。食糧、衛生、教育、エネルギー、水資源、医療研究、安全保障、デジタルといった、人の生命に関係するあらゆる分野で、EUの結束は固いのです。
――世界秩序の趨勢を考えるうえで、中国の動向は無視できません。同国の動きをどう見ていますか。
【アタリ】中国のGDPはアメリカのおよそ4分の3に達しており、デジタル覇権をめぐる争いの余波も世界中で広がっています。国際機関においても中国の存在感が高まる一方で、アメリカの影響力は薄れている。
しかし長期的に見ると、中国式の監視型独裁政治はやがて行き詰まるでしょう。人間は最終的には自由を求めるからです。
しかも中国は、食糧を輸入に頼らないと賄えない構造的な問題を抱えています。WHOはたびたび中国を擁護しますが、そもそも中国が最初に新型コロナの情報を隠蔽したことがパンデミックの根本的な原因です。そんな無責任な国に超大国になる資格はありません。
――世界的課題としては昨今、気候変動の議論が盛り上がっています。あなたもカーボンフリーエネルギーへの移行を提言していますね。
【アタリ】気候変動問題は重要課題の一つですが、「命の経済」について説明したように、カーボンフリーだけを考えればよいわけではない。たとえば気候変動問題に取り組んでいても、保健・衛生上の危機は解決できませんよね。
その他のイシューにも同時に取り組まなければなりません。私がカーボンフリーではなく、「命の経済」が重要だというのは、それが理由です。気候変動問題は「命の経済」の一側面にすぎません。
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更新:11月11日 00:05