2021年06月18日 公開
2021年07月07日 更新
一方で、公務員自体の在り方も変えるべき局面だ。元厚生労働官僚の千正康裕氏が著書『ブラック霞が関』(新潮新書)で詳細に指摘するように、霞が関の官僚はいま心身ともに疲弊している。
国民からの意見と国会への対応、野党合同ヒアリングの準備などに追われ、本当に必要な政策立案に時間を割ける状況ではない。霞が関に対する世間の風当たりの強さもあり、人員は次々と削減され、マンパワーが圧倒的に不足している。
そこでまずは、旧来の公務員モデルから脱却する必要がある。大学を卒業後に入省してそのまま定年まで勤めあげ、いわゆる「天下り」によって民間の企業や組織に再就職する。
このように生え抜きの人材ばかりで固めるようでは、旧態依然とした省庁内部の論理に拘泥し、不透明な時代の変化に対応することはできない。一度退職した官僚の復帰や、専門性の高い民間人の中途採用、さらにはプロジェクトに一定期間参画する「準公務員」の活用など、あらゆる手段を駆使するべきである。
そのためには、国家公務員法を抜本的に改めなければならない。「公共」を公務員だけではなく社会全体で担う意味を込めて、国家社会公務基本法の制定をめざすべきだ。
公務の中核には公務員を据えるが、火災・救命対応での消防団のような「準公務員」の存在と役割を明記する。緊急時だけではなく、平時から企業人や大学人が柔軟に公共に参加することを社会全体が許容する。
そんな国家や社会の基本的な公務を支える人材層をガバナンスする枠組みを、可及的速やかに整えるべきである。
世界が新型コロナ禍に直面し、民主主義国よりも権威主義国のほうが感染対策において優位なのではないか、との議論がなされた。しかし我々は、あくまで民主主義の下、国民の自由な意思に基づく公共への参画によって、危機に立ち向かわなければいけない。
私が提起する「新しい公共」は、健全な民主主義の地盤なくしては成り立たない。政治家は国民につねに真摯なメッセージを届け、国民はそれに呼応し、あるいは呼応するまでもなく自発的な意思に基づき、公の事柄に一肌脱ぐという感覚で、公共の担い手として参画する。
そのような中長期的な日本のビジョンを掲げ、引き続きこの難局に立ち向かわねばならない。
更新:11月22日 00:05