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GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった

2021年04月22日 公開
2022年10月06日 更新

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

GHQ

経済の自由化ではなく弱体化

だが今日、この傾斜生産方式が本当に成功したのかどうか多くの批判がある。

もともとのGHQの方針は、日本の再軍備化の阻止にあった。そのために優先された政策目的は、戦前の経済的なスーパーパワー(財閥、影響力のある経済人、大地主など)の弱体化であった。

この戦前の日本経済を支えていた勢力を弱体化させることが目的であって、経済の自由化をすすめるものではなかった。

実際に、生産の不足はまず重油や鉄鉱石の不足が根本の原因であり、本当に経済の自由化をすすめるのならば、海外からの資源調達の自由を認めることを最優先しなければ理屈に合わない。

だが、占領初期のGHQは海外からの資源調達を厳しく制限していた。そのために石炭や鉄鋼など基幹産業が機能せず、広範囲なモノ不足と高いインフレが生じていたのだ。

GHQの経済的援助は当初はせいぜい食料への援助があったぐらいで、それも日本には自由度はなかった。

このGHQの日本経済弱体化政策を、あたかも「経済民主化」として賞賛し、自由化が進展した、と称賛しているのだから、おめでたいとしかいいようがない。

 

回復は貿易の自由度が上がったから

今日では傾斜生産方式は、政府がGHQから重油、鉄鉱石などの基礎材料の輸入を認めさせるための政治的方便だった、というのが大来洋一(政策研究大学院大学名誉教授)、原田泰(名古屋商科大学ビジネススクール教授)・和田みき子(近代史研究家)らの新解釈である。

重油の緊急輸入は1947年6月に実施された。45年9月からほぼ2年間、基本的に原材料の輸入を許さないことで、日本経済は見殺し状態であった。

しかも石炭の増産は目標に到達したが、他方で鉄鋼の生産は目標には届かず、傾斜生産方式が「計画と組織」を通じて目指した、石炭と鉄鋼の相互循環的な生産体制は失敗した。

目標には到達はしなかったが、それでも鉄鋼の生産は48年から急速に回復し、戦前の6割程度までになった。

これについては、大来らは1947年8月の限定付きの民間貿易の再開、また米国からの本格的な資材援助となるエロア援助が48年7月から開始されたことによると指摘している。

つまりは貿易の自由度が上がることによって、日本経済は一息ついたのである。

 

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