2020年12月30日 公開
2022年07月01日 更新
蔡英文政権でデジタル担当大臣を務め、近隣店舗のマスク在庫を把握できる「マスクマップ」の開発を主導したことで知られるオードリー・タン氏。同氏が本格的に政治に参画したのは、2014年の「ひまわり学生運動」がきっかけである。シビックハッカーだったタン氏はなぜ、台湾の民主主義の旗手となったのか。日本と台湾における市民のうねりはどう違うのか――。
※本稿は『Voice』2021年1⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。
取材・構成・写真:栖来ひかり(台湾在住ライター)
――あなたは2014年3月に学生たちが立法院(国会に相当)を占拠した「ひまわり学生運動」への参加を契機に、台湾の民主主義の舵取りに本格的に関わるようになりました。
ひまわり運動は、現政権における大きな社会的原動力として作用しています。一方で日本では、反政府デモというとイデオロギー色の強いものというイメージがあり、国民の広範な支持へと拡がりにくいのが現状です。社会運動について日台にはどういった違いがあるでしょうか。
【タン】ひまわり運動の特色は、反対のために抗議するデモンストレーションではなかった点です。どちらかといえば、「モデルケース」「手本を見せる」ためのデモンストレーションでした。
英語のdemonstrationには、二つの意味があります。一つは「威力を見せる」ことで、もう一つが「手本を見せる」こと。後者はたとえば、泳げない人にコーチが泳ぎ方を見せて教えることが挙げられます。
ひまわり運動が示した「デモンストレーション」は、コンセンサス(合意)を導き出すプロセスでした。20ものNGO(非政府組織)が、当時物議を醸していた「海峡両岸サービス貿易協定」に関する個々の問題を受けもちました。
立法院を占領した学生や街に出た50万人、オンラインの参加者と話し合うことで、皆のコンセンサスを「4つの要求」としてまとめました。最終的には、王金平立法院長(国会議長に相当)が出てきて、私たちの要求を受け入れたのです。ひまわり運動は、互いの信頼のなかに生まれる一つのコミュニケーションを基礎としたデモンストレーションでした。
――それ以前も台湾では多くの民主運動が行なわれてきましたが、ひまわり運動は何が違ったのでしょう。
【タン】最も大きな変化は、参加者自身が多様な役割を担うようになったことでしょう。以前は皆が二次的な報道を見ていましたが、ソーシャルメディアの進展により、スマホを開ければ自分自身がテレビ局の中継者になれるし、中継を見て現場を応援することもできる。
リアルタイムの発信は、誰もが参加者であるという意識をもたらします。現にひまわり運動では、私たちのメッセージが世界中に広がり、多くの言語に翻訳され、ついには『ニューヨーク・タイムズ』紙に意見広告を載せるまでに展開しました。
――誰もが情報の受信だけではなく発信もできる。画期的な変化ですね。
【タン】このように個人の役割が多様化するなかで、私たちが重視していたのは、人びとのメディア・リテラシーを高めることです。インターネット空間は事実上、誰もが創作者になれる世界です。
創作者のコンピテンシー(行動特性)は、他者と密に影響し合うことで高まります。そのため、最初は皆が別の関心をもっているようにみえても、いざ可視化されれば共通の関心に気づき、創造がどんどん加速していきます。
更新:11月22日 00:05