2020年07月23日 公開
2022年03月29日 更新
フェミニズム運動をはじめジェンダー論が盛んに叫ばれている。現代社会において、「性差(gender)」というトピックになると、条件反射的に意見の分断が起きてしまってはいないだろうか。そこで男女観や多様性を考える際の一助となるのが、「性差」について「gender」ではなく「sex」の視点で捉え直すことかもしれない。
「本来の自然に戻る」という観点をもとに、生物学的視点から「性差(sex)」について、令和のいまだからこそ考えてみたい。
世界的ベストセラー『生物と無生物のあいだ』を執筆した生物学者・福岡伸一氏が、社会的に獲得した"ジェンダー"ではなく、生まれ持った"セックス"から問い直した男女の差とは――。
※本稿は月刊誌『Voice』2020年7月号に掲載されたものです。
巣ごもり生活を強いられるようになって、あらためて男と女の行き違いに直面して戸惑っておられる人たちも多いのではないだろうか。
この論考の結論を先にいえば、男性のアダムがイヴをつくったのではなく、女性のイヴがアダムをつくった。そして、イヴによってつくられたアダムは、イヴにとっては使い走りでしかなく、ツールでしかなかった。しかし……、ということになる。
フランスの哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」といった。つまり、社会が女という役割を女に押し付けていると指摘したのだが、生物学的にいうと、じつは、これは男のほうにこそあてはまる。「生物は男に生まれるのではない、男にされるのだ」と。
つまり、生物は、女性のほうが基本形であって、男性は付録のようなものである。付録は酷使される。その実例について見てみよう。
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更新:10月30日 00:05