2020年02月15日 公開
慈悲化兵器は、人類が兵器の領域で行う多様な選択のうち、最新の自覚的な選択である。それは兵器に新技術の要素を注入した後、さらに人間味をも加えて、今までにない温情の色を戦争に塗りつけた。
しかし、慈悲化兵器が兵器であることに変わりはなく、慈悲化の必要によって戦場での効果を低下させることはない。
戦車の戦闘能力を奪うには、砲弾やミサイルでその戦車を破壊すればよいし、またレーザーを使って戦車の光学装備を破壊するか、あるいは乗員の視力をなくすこともできる。戦場では、死亡者より負傷者の方がもっとケアの手間がかかる。
無人兵器施設は、どんどん高価になっている保護施設よりコストが安い。慈悲化兵器を開発している人は、実はこのような費用対効果比を冷酷に計算しているに違いない。
人員の殺傷は敵の戦闘力を奪い、敵を恐怖に陥れ、その戦闘意志を喪失させることもでき、実に算そろ盤ばんの合う勝利獲得の道と言ってよい。今日、われわれは相手に恐怖を与える、より多くの、より効果的な手段を作り出す技術を十分に持っている。
レーザーで天幕に聖徒受難像を投影すれば、宗教に敬虔な兵士を十分に震え上がらせることができる。このような兵器の製造は技術上なんら障害がなく、必要なのは技術にさらに多くの想像力を付け加えるということだけだ。
慈悲化兵器は兵器の新概念から派生したもので、情報兵器は慈悲化兵器の突出した代表である。ハードな破壊を与える電磁波兵器であれ、ソフトな攻撃を加えるコンピューター・ロジック爆弾やインターネット・ウイルス、メディア兵器であれ、狙っているのは(兵器の) 麻痺と破壊で、人間の殺傷ではない。
技術総合時代であるからこそ生まれた慈悲化兵器は、恐らく最も前途のある兵器発展の趨勢を示しており、今日のわれわれには想像も予知もできない戦争状態と軍事革命をもたらすだろう。それは人類戦争史上、最も奥行きの深い変化で、新旧の戦争状態の分水嶺である。
なぜなら慈悲化兵器の出現は、冷たい兵器や熱い兵器の時代の戦争を、すべて"旧”時代に放り込んでしまったからだ。
だからといって、われわれは技術のロマンチックな幻想に浸り、これからの戦争は電子ゲームのような対抗ゲームになると安心するわけにはいかない。コンピュータールームでの戦争シミュレーションにしても、国全体の総合的な力を前提としている。
独活(うど)の大木が10の戦争シミュレーションを用意しても、実力的に自分より上の敵を脅かすには力不足である。戦争は生きるか死ぬか、滅ぼすか滅ぼされるかであり、いささかも天真爛漫であってはならない。
たとえある日、すべての兵器が完全に慈悲化されたとしても、流血の戦争を避けられるかもしれない慈悲化戦争とて戦争であることに変わりはない。それは戦争の残酷なプロセスを変えることはできても戦争の強制的な本質を変えることはできないし、残酷な結末を変えることもできない。
【注】
1.「大規模殺傷兵器」の概念に代えて、「超殺傷兵器」の概念を用いるのは、この種類の兵器の殺傷力が戦争の必要性を超え、人類の極端な思考の産物であることを強調したいからだ。
2.「慈悲化」兵器の「慈悲」とは、主に殺戮(さつりく)と、これに付帯する殺傷を減少させることを指している。
3.イギリス『国際防衛評論』一九九三年四月号によると、アメリカ軍は光学兵器、高エネルギー・マイクロ波爆弾、音波兵器、パルス・ケミカル・レーザーを含む多くの非殺傷兵器の研究に力を入れているという。『ジェーン・ディフェンス・ウィークリー』1996年3月6日の記事によれば、アメリカ国防総省非殺傷兵器上級指導委員会が、政策を立案し、こうした兵器の開発、購入、使用についての規定を作ったという。このほか、『一九九七年世界軍事年鑑』( p. 521〜522)の紹介によると、アメリカ国防総省は「非致死兵器研究指導グループ」を設置した。その目標は非致死兵器をできるだけ早く兵器リストに載せることである。
20.軍事科学院『外軍資料』1993年第27号、p.3。
更新:11月22日 00:05