2020年02月15日 公開
現在テロ、サイバー攻撃など、戦争は様式を変えて領域を広げ続けている。戦争の歴史を振り返ると、常に技術革新が背景にあった。しかし、もはや技術は臨界点に達した様にみえる。これからの戦争は技術ではなく、概念に紐づいて考えると理解しやすい、と著者は主張する。
9.11同時多発テロを予言したと話題となり、米国の軍事戦略に大きな影響を与えたとされる復刊著書『超限戦』。本稿では同書より、全人類を超える殺傷能力を持ってしまった兵器が、実は人を殺さない「慈悲化」が進んでいる現状を伝えつつ、その結果に待ち受けているものを考察した一節を紹介する。
※本稿は喬良,王湘穂著『超限戦』(角川新書)より一部抜粋・編集したものです。
原子爆弾の出現以前は、戦争はずっと殺傷力の「不足時代」にとどまっていた。兵器の改善は主に殺傷力の増加に向けられていた。
火薬のない兵器や単発の火薬兵器からなる「軽殺傷兵器」から、各種の自動火薬兵器からなる「重殺傷兵器」に至るまで、兵器の発展の歴史は殺傷
力を不断に増すプロセスであった。
長い間の殺傷力不足は、さらに強力な殺傷力兵器を持ちたいとの軍人たちの欲求を膨らませた。アメリカのニューメキシコ州の原野に赤い雲がもくもくと上がったとき、軍人たちはついに念願の大規模殺傷兵器を手に入れた。
この兵器は敵を全部殺すことができるだけでなく、敵を100回も1000回も殺し続けることさえできる。この兵器により人類は必要以上の殺傷力を持つようになり、戦争の殺傷力は初めて余裕を持つようになった。
哲学の原理は、すべての事物は究極に至ったときからその逆の面へと転換することをわれわれに教えている。核兵器のような全人類を滅ぼすことのできる「超殺傷兵器(注1) 」の発明により、人類は自らが仕掛けたワナに落ちてしまった。
核兵器は人類の頭上にぶら下げられたダモクレスの剣となり、人々を考え込ませたござわれわれには本当に「超殺傷兵器」が必要なのか。
敵を100回も殺すことと1回だけ殺すことはどう違うのか。敵に勝つために地球を滅ぼす危険まで冒す意義があるのか。どうすれば人類破滅の戦争を回避できるのか。
更新:11月13日 00:05