2019年07月22日 公開
2022年05月25日 更新
もちろん、金融庁にも責められるべき点がある。老後の生活費は多くの国民にとって大きな不安であり関心事だ。
老後の生活資金というセンシティブな問題について言及するときには、発表の仕方はよほど慎重であらねばならない。
なぜ、このような何の変哲もない報告書が大きな波紋を広げたのかといえば、あまりにも核心を突いていたからである。
漠然としていた老後の不安が「2000万円の不足」という具体的数字として目の前に突きつけられたのである。
人間というのは、見たくない「現実」をつきつけられたときは顔をそむけたくなるものである。「2000万円」という数字は、「年金だけでは老後の生活を賄うには不十分だ」というメッセージとしてはインパクトが強すぎた。
そのリアルさに多くの人が混乱し、政府に怒りが向いたのも自然の流れであった。
大概、こうしたインパクトのある数字を示すときには対応策もセットで発表することが求められるが、今回はこれが弱かった。それどころか、弱者への配慮を大きく欠いていた。
自助努力を強調したのは、金融庁の審議会という性格上、高齢者の貯蓄を投資に振り向けさせたいとの金融庁サイドの意向が強く働いたからだろう。
だが、2000万円を貯めたくとも貯められない人は少なくない。投資に向かない人もいる。こうした人びとの存在を無視したかのような報告書の出し方は無神経だったといわざるをえない。
自助努力をベースとした資産運用の必要性を強調されても、元手がない人には「政府の責任放棄」と映ったのである。
一方で、老後の貯蓄に励んできた人にも、違う意味での不信感をもたらした。「2000万円」の根拠があまりにも脆弱だったからだ。試算の根拠は2017年の総務省の「家計調査」である。
しかも、“現在の高齢者夫婦世帯”をモデルとして、平均で毎月の支出と年金などの収入の差額5万円を資産の取り崩しで賄っており、65歳から30年生きたとすると「2000万円」になると機械的に計算しただけの話である。
あくまで平均値であり、すべての人に当てはまるわけではない。病気がちであればもっと支出額は増えるし、個々の年金額によって不足する額は違ってくる。「不足額は2000万円で済むはずがない」との疑念だ。
年金については、社会保険庁時代からの不祥事が重なってきたこともあり、国民の不信は高まったままだ。世代間の不公平さに敏感な人も多く、なかなか冷静な議論ができない現実もある。
「2000万円」という数字を出せば、それが独り歩きし、国民の老後不安を煽るだけに終わるであろうということを、金融庁は想像しなかったのだろうか。結局、百害あって一利なしに終わった。
更新:11月24日 00:05