2019年07月22日 公開
2022年05月25日 更新
ところで、麻生財務相は「世間に著しい誤解や不安を与え、政府の政策スタンスとも異なる」と受け取りを拒否した理由を説明したが、金融庁の審議会の報告書はなかったことにしなければならないほどのデタラメな内容だったのだろうか。
安倍首相も国会答弁で「報告書は単純な平均値の議論によって、公的年金だけでは30年で2000万円足りないかのように述べており、世間に著しい誤解や不安を与え、不適切なものだと考えている」と語るばかりで、どんな「誤解」を与えたのかは明確にしていない。
そこで報告書を詳しく読んでみたが、特段新しいことが書かれているわけではない。「年金などで足らざる部分は、金融資産から取り崩すことになる」という分析はきわめて当たり前のことを語っているにすぎない。
年金はあくまで保険であり、老後の生活を保障する制度ではないからだ。この点については、かねてより厚生労働省は「年金は老後の暮らしの主柱」と説明してきた。
「主柱」とは、ある程度は当て込めるという意味である。同省が「年金だけで老後の生活費をすべて賄える」などとしたことはない。
今回の“騒動”では、あたかも政府が初めて「年金だけでは老後を賄えない」ことを認めたかのように語るコメンテーターもいたが、これは正しくはない。
「いまさら足りない分は自己責任で何とかしろというのは無責任だ」という批判の「いまさら」にも違和感を覚える。金融庁の審議会の報告書は、これまでの政府のスタンスや説明を踏襲しており、「いまさら」ではなく「最初から」そう説明し続けてきたのである。
多くの国民だって、理解度の差こそあれ、年金だけで老後資金が十分ではない事実を知らなかったわけではないだろう。
かねてより「自分たちが高齢者になったときには十分な額の年金なんてもらえない」と語る人は多かったし、街の金融機関で老後の資産形成相談会が花盛りなのも、年金だけではやっていけないと思っている人が多いからだろう。
そうでなければ、老後向けの金融商品がこうも次々と登場するはずがない。むしろ、この報告書が強調したかったのは、「資産寿命」を延ばすことの必要性だったのだろう。
「資産寿命」とは聞きなれない言葉であるが、老後の暮らしを営むために築いてきた預貯金などの資産が底をつくまでの期間のことである。平均寿命の延びで老後が長くなるので、資産寿命を延ばす努力が必要になるということを訴えているのだ。
そのために、資産の「見える化」や支出の再点検、判断能力が低下する前の備えの重要性を指摘し、「人生百年時代というかつてない高齢社会においては、これまでの考え方から踏み出して、資産運用の可能性を国民一人ひとりが考えていくことが重要ではないだろうか」と問題提起しているのである。
これのどこが問題で、受け取りを拒否しなければならないほど「政府のスタンスと異なる」というのだろうか。
安倍政権は報告書をなかったことにするより、年金は必ずしも老後の生活費をすべて賄うことを前提にした制度とはなっていないという事実を、包み隠さず国民に伝えたことを評価すべきではなかったのか。
「年金は老後生活の主柱だ」などという抽象的な表現に終始してきた厚労省などの資料に比べて、不足分を何とか工面する必要性を正面から取り上げたことはある意味誠実でもある。
更新:11月22日 00:05