2019年03月27日 公開
2022年10月27日 更新
ところが、実際は法律一本、国民の力だけでは完成させることができません。
国民ができるのは、法律の内容を確定するところまでです。すなわち、国民が選んだ国会議員から成る国会(立法府である衆議院と参議院)に可能なのは、法案を可決するところまでで、そこから先は天皇の領域になります。
日本国憲法七条一項には、天皇の「国事行為」として「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」とあります。
公布とは、成立した法律を誰にでも閲覧できる状態で公に示す、という意味です。法律は公布されないかぎり、守りようがありません。具体的にいえば、官報に掲載された時点で、法律は効力を持つことになります。
日本国憲法は法律を公布する機関として「天皇」を指定しているのです。内閣総理大臣や衆議院議長には法律の公布はできません。天皇がなければ、法律を公布できる機関はなくなってしまうのです。
また日本国憲法は、内閣総理大臣は国会の議決(首班指名)で指名されると定めています(第六七条一項)。
国会議員を決めるのは国民ですから、内閣総理大臣を選ぶのは、たしかに国民ということになります。しかし、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命するのは天皇なのです(日本国憲法第六条)。皇居宮殿で天皇陛下に任命されなければ、内閣総理大臣は成立しません。
ここまでの議論を整理します。法律を作るのは国民ですが、それを公布するのは天皇です。内閣総理大臣を決めるのは国民ですが、それを任命するのは天皇です。すなわち日本では、天皇と国民が一体となった時に主権が行使されるのです。
したがって、現在の日本を単に「天皇主権の国」、あるいは「国民主権の国」と表現しても、必ずしもその本質を正しく示したことにはなりません。
では、日本の主権者は誰なのか。結論を先にいえば、天皇と国民が一体となった「君民一体」の姿こそ、我が国の主権の在り方なのです。この主権者をめぐる「君民一体」の在り方は、じつは戦前もまったく同じでした。
戦後の教育を受けた人は「戦前の天皇は、軍も政府も自由に動かせる絶対的な権限を有していた」と思い込んでいますが、それは決して事実ではありません。
行政権一つとっても、帝国憲法下の天皇は、大臣の輔弼(ほひつ)なしに自らの意志を国策に反映させる余地は微塵もありませんでした。
事実、明治維新から現在に至る約150年間で、天皇が国策を直接決定したのは、わずかに一回です。それは昭和天皇が昭和二十年八月、御前会議でポツダム宣言の受諾を決定なさったときだけです。
戦前の天皇は、現代人が思っているより遥かに非政治的だったのです。
更新:11月23日 00:05