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LGBT論争に潜む憲法学者のダブル・スタンダード

2018年09月12日 公開
2022年07月08日 更新

村田晃嗣(同志社大学法学部教授)

同性婚と自衛権における議論の錯綜

ところで、9条と自衛隊、日米安全保障条約の関係については、中学生が普通にこの条文を読めば自衛隊は違憲だと思うだろうと、しばしば批判されてきた。同じ事が24条と同性婚にも該当しよう。

逆に、24条が同性婚を否定していないという理屈を9条に当てはめれば、先の大戦の反省に立って侵略行為を行なわないというのが条文の沿革であり、集団的自衛権の行使を明示的に禁止してはいないことになろう。

24条と同性婚の解釈と9条と集団的自衛権行使の解釈のあいだに、明らかなダブル・スタンダードがあるように、筆者のような素人には思えてならない。

将来、日本で同性婚の是非が議論される折には、やはり憲法学者の判断が先にあって、彼らが合憲と認めればよしとし、彼らが違憲といえば、改憲なしの同性婚は認められないのであろうか。それが立憲主義であろうか。

否、それでは、日本の憲法学者はウラマー(国家統治に有権解釈を下すイスラム法学者)になってしまおう。

もちろん、憲法学者の専門的知見は重要だが、同性婚の是非を論じるには、家族社会学者やジェンダー専門家、心理学者、教育学者、医師などさまざまな分野の専門家、そして何よりも当事者による総合的な議論が必要であろう。

同様に、安保法制についても、憲法上の知見と並んで国際法の観点、さらには憲法解釈の変遷の裏にある日本政治外交史への理解、そして現在の安全保障環境への冷静な分析などが、総合されるべきなのである。

そもそも、1946年に憲法が公布されたときに、同性婚を想定した者はいまいし、敗戦国の日本が国連の平和維持活動(PKO)に積極的に従事し、あるいは、集団的自衛権を行使してアメリカを助けるなどと想定した者もいまい。

さらに、サイバー空間で個別的自衛権と集団的自衛権を区別することは不可能だが、46年にサイバー空間は存在しなかった。

つまり、憲法の想定していなかった現実に、われわれは直面しているのである。憲法の精神は尊重されるべきだが、憲法が想定していなかった現実までその枠に押し込めるのは、知的傲慢である。

(本稿は『Voice』2018年10月号、村田晃嗣氏の「LGBTを政争の具にするな」を一部抜粋、編集したものです)

著者紹介

村田晃嗣(むらた・こうじ)

同志社大学法学部教授

1964年、兵庫県生まれ。同志社大学法学部卒業。98年、神戸大学博士(政治学)。99年、『大統領の挫折』(有斐閣、1998年)でサントリー学芸賞、2000年、『戦後日本外交史』(共著、有斐閣、1999年)で吉田茂賞を受賞。13年4月から16年3月まで同志社大学学長を歴任し、現職。著書に『レーガン』(中公新書、2011年)など。


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