2018年09月01日 公開
2019年04月03日 更新
当然、上九一色村の各サティアン群に通じる道路はすべて機動隊が封鎖し、検問でチェックを受けなければ外に出ることも中に入ることもできない仕組みになっていた。
だが、監視を続ける捜査員が突然、これまで全く見かけなかった信者をサティアン群の中で目撃し、秘密の抜け穴があるのではないかと議論になったこともある。
そのうち、次第に「麻原が第六サティアンにいる」との情報が集まってきた。
まず、既に別の事件で逮捕された教団「厚生省」大臣の遠藤誠一(死刑執行済)が調べに対し、「グル(尊師)は第六サティアンの一階と二階の間にある隠し部屋にいます。末期ガンで死にそうなので、大事に扱って下さい」と供述した。
この供述の信憑性が五分五分と見て、捜査員が外から監視を続けていると、当時、麻原の後継者とされていた三女アーチャリーをはじめ教祖の家族たちや、平田信(現・服役囚)らボディガードチーム、最も寵愛を受けていた愛人で少し前まで第二サティアンで麻原と同居していた十七歳の美少女信者スメーダの姿が第六サティアン周辺で目撃された。
また、警察当局が押収した教団資料の中に、教団「自治省」大臣の新實智光(死刑執行済)が三月の強制捜査前に、大臣名で上九一色村の全サティアンに出した《今後は第六サティアンに入ることを禁じる。もし入る必要がある場合は自治省の許可書が必要》という通達書があった。
それでも麻原が第六サティアンにいるかどうかの確信を持てなかった警視庁幹部たちが最終的に突入を決断したのは、麻原の大好物であるメロンが大量に第六サティアンに運び込まれたのを発見したからだ。教団内で高額のメロンをムシャムシャ食べられるのは、教祖しかいなかったのである。
(本稿は、一橋文哉著『オウム真理教事件とは何だったのか?』〈PHP新書〉を一部抜粋、編集したものです)
更新:11月23日 00:05