2018年06月21日 公開
2022年06月27日 更新
じつはこの間、地面も動き出した。平成5年に奥尻島の津波があり、続いて阪神・淡路、さらに中越、長野、東北、熊本と数年置きに引き続く。地震列島とはいえ、昭和の御代はもう少し静かだったような気がする。地質学者によっては、地球が活動期に入ったのだという。温暖化を含め、平成は自然環境が大きく動き始めた時代でもある。
気候変動に関しては、まさに平成に入る1年前、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立され、平成2年に第1次報告書が出された。平成19年にはアル・ゴアと共に、ノーベル平和賞を受賞している。平成は気候変動に関する議論とともにあったというべきか。
個人の実感としては、気候変動とともに、虫の変化がある。私の住む鎌倉でも、いちばん普通に見られるチョウは、アカボシゴマダラとツマグロヒョウモンになった。アゲハならナガサキアゲハ。どれも元来南のチョウで、アカボシは奄美、ツマグロは箱根以西、ナガサキは紀伊半島より西というのが、私の子どものころの3種の分布だった。
それなら地球温暖化によるのではないか、というのが一般の感想であろう。そうかもしれないが、おそらく話はそう単純ではない。ツマグロヒョウモンの場合には、スミレ類が食草である。これがパンジーを食べるようになったからというのが、むしろ専門家の意見である。パンジーなら、至るところに植えられているからである。
虫が減ったことも、付け加えておくべきであろう。原因は多岐にわたっていると思われるが、昭和40年度くらいからの傾向で、いまやほとんど末期症状だと私には見える。種類数より何より、まず数が減った。五月蠅をウルサイと実感する人など、もういないであろう。もはや五月蠅と書いて、「珍しい」と読むべきである。
この先を論じるには、誌面が尽きた。30年は長いといえば、長かったですなあ。
(本稿は『Voice』2018年1月号、養老孟司氏の「『平成』を振り返る」を一部抜粋、編集したものです)
更新:11月21日 00:05