――ヨーロッパ各国での取材で興味深かったのは、安楽死と宗教の関係です。安楽死を合法化している国々のほとんどは、キリスト教のなかでもプロテスタント信仰者が多いですね。
宮下 同じキリスト教国でも、やはりカトリックよりプロテスタントのほうが安楽死に寛容です。プロテスタントは、時代の流れとともに自らが順応していく世俗性をもっています。そのため、アメリカ、イギリス、ドイツなど、経済発展を遂げてきた国々はプロテスタントが多い。
一方、カトリックは聖書に忠実に則った生き方をしないといけませんから、そもそも自殺を認めていません。そのせいかカトリックの国々では、いまだに安楽死は合法化されていません。
――プロテスタントの国には、人間の「自由意思」や個人を尊重する文化がありますね。ただオランダでは、カトリック信者のほうが安楽死に肯定的な割合が高く、むしろプロテスタント系の反安楽死団体が存在するのは意外でした。
宮下 オランダ中央統計局の調査(2015年)によれば、オランダの人口の24%がカトリック、16%がプロテスタントで、無神論者が年々増えています。一部のプロテスタントの団体が安楽死に強硬に反対していますが、基本的にオランダ人の多くは、宗教を基準に行動しません。
オランダは麻薬や売春も合法化してしまうほど、個人主義を徹底している国です。「死でも何でも自分で決めること」という自己決定権が尊重されていて、安楽死もその考え方に則り合法化されているということでしょう。
――麻薬も売春も合法というのは、日本では想像し難いですね……。
宮下 たとえ日本がオランダの安楽死を真似しても、決してうまくいかないでしょう。オランダには掛かりつけ医制度があり、幼少期から同じ医者に診てもらう環境が整っています。患者と医者の信頼関係が築かれているため、いざというときに医者は、患者の意思を尊重することができるんです。
ところが日本では、病気が末期になるといきなり大病院に運ばれて、まったく知らない医者に処置されます。お互いのことが何もわかっていないなかで安楽死といわれても、患者と医者のあいだで齟齬が生じるのは当然です。現在、オランダでは死因の約4%が安楽死ですが、オランダ人がもつ明確な自己決定権と、掛かりつけ医制度が背景にあります。
――自己決定権でいうと、本書では未成年者の安楽死にも触れられています。2015年10月、出生時から難病を抱えるスペインの少女・アンドレアちゃん(12歳)が、親の強い要望からセデーションによって絶命。安楽死が認められていないカトリック国のスペインだけに、物議を醸しました。
宮下 未成年者の安楽死は本当に難しい問題です。親からすると、ずっと苦しそうにしているわが子の姿を見続けるのは耐え難いでしょう。また医者とのやりとりのなかで、この子の先は長くないということもわかっている。それなら早めに死なせてあげたいと、子どもの代わりに死を決断したわけです。
とはいえ、アンドレアちゃんは当時ほとんど意識を失っていましたから、本当に死にたかったのかはわかりません。この子の母親は「私の声は、娘の声」といい、子どもの生死を親が決めるのは倫理的にどうなのか、と大きな議論になりました。
アンドレアちゃんと母親(写真提供:「interviú」)
※本記事は、『Voice』2018年6月号、宮下洋一氏の「日本人が知らない安楽死の真実」を一部抜粋、編集したものです。
更新:10月09日 00:05