2018年04月25日 公開
2023年02月01日 更新
大統領選挙中、ヒラリーはトランプの支持者の半分はレイシスト(人種差別主義者)、セクシスト(性差別主義者)、ホモフォビック(同性愛の嫌悪)、ゼノフォビック(外国人恐怖症)、イスラムフォビック(イスラム恐怖者)である、などと侮辱しました。まさにトランプ支持者に対する「ヘイトスピーチ」そのものです。ところがリベラル自身は決して「ヘイトスピーチ」はしていないと思い込んでいるのです。自分たちの正義は信じて疑わない半面、異なる意見に対して徹底した「非寛容の精神」を貫くのがリベラルの特徴といえます。
私は、人種差別の解消を求めるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の公民権運動は、アメリカという国にとって必要不可欠なことだったと思います。1963年8月にワシントンで行なわれたキング牧師の「私には夢がある」という演説に象徴される運動は、人種差別がまかり通っていた「時代遅れなアメリカ」に正しい道筋を示したものだと、強く思います。
しかし近年のリベラルは、このキング牧師の理想を捻じ曲げていないでしょうか。キング牧師は演説のなかでこう語り掛けています。
私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が。
まさにキング牧師は、アメリカを人種や肌の色で差別しない偉大な国にしようと述べたわけです。ところが現在、アメリカのリベラルが行なっているマイノリティの権利保護政策によって、逆差別とともにアメリカ国内の分断が進んでいます。
たとえばオバマ政権は、ヒスパニック(主にラテン系アメリカ人)の権利向上を声高に訴えました。しかし、すでにヒスパニックの多くは、自らのアイデンティティはアメリカ人だと思っていました。移民第1世代から2代目、3代目へと代を重ねるにつれ、ヒスパニックという意識は希薄化しているのが実情だったのです。ところがオバマ政権は、本人たちの意思とは関係なく、あえて「ヒスパニック」というカテゴリーに選別し、まるで彼らの権利が侵害されているかのように思わせました。
黒人についても同じです。たとえばアメリカでは、黒人の高校生が学校を中退した場合、「かつて白人が黒人を奴隷にしたからだ」という、あまりにも飛躍した論理の主張がまかり通っています。本来ならば、黒人の高校中退率を下げるための取り組みがなされるべきです。それにもかかわらず、「いまだに黒人が差別を受け続けている!」「差別を受けた黒人に援助しろ!」とばかり叫ぶのはなぜか。
リベラル派は自分たちの利権を守るために、アメリカ建国の精神である「自立主義」とは正反対の「依存主義」へと社会を向かわせているのです。彼らは差別問題が本当に解決されてしまったら「金の卵を産むガチョウ」を失う立場だからです。こうした「被害者ビジネス」がいかにアメリカを蝕んでいるかについて『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』(PHP新書)のなかで、とくに力を入れて書いたつもりです。
最後に、朝鮮半島情勢が緊迫するなか、日本では一部野党が国会審議を拒否して、メディアと連動しながら安倍政権に対する批判を繰り返しています。日本に再軍備をさせないことを目的にGHQが押し付けた究極の不平等条約が日本国憲法です。その改正を進める安倍政権の足をどこまでも引っ張ろうとする永田町や霞が関、メディアや大学などに巣食った「IYI」の信じ難いほどの広がりを痛感せずにはいられません。
(本記事は、『Voice』2018年5月号、ケント・ギルバート氏の「官僚の毒に侵された日米の憂鬱」を一部、抜粋したものです。
更新:11月10日 00:05