2016年07月20日 公開
2022年11月09日 更新
6月16日、沖縄県・北大東島周辺の接続水域に、人民解放軍(中国海軍)のドンディアオ級情報収集艦一隻が入域した。
この情報収集艦は6月15日に鹿児島県・口永良部島周辺の「領海を航行した艦艇と同一」(防衛省)である。つまり前日、日本の領海を侵犯した中国艦が翌日も接続水域に侵入した。そういう経緯である。
以上は、6月9日未明に起きた尖閣諸島周辺の接続水域への中国海軍ジャンカイⅠ級フリゲート(艦)による侵入を含めた一連の動きとして捉える必要がある。
9日の接続水域侵入事案では、ロシア海軍の駆逐艦など3隻が尖閣付近の接続水域に入り、北東に航行したあと接続水域から出た。現時点では、ロシアに日本の海を侵犯しようという意図はなかったと考えてよい。
だが、その動きに合わせるように9日午前0時50分ごろ、中国フリゲートが尖閣諸島の久場島北東の接続水域に入域。海上自衛隊の護衛艦「せとぎり」が監視と無線による呼びかけを続けた。自民党政権に戻り警戒監視体制が強化された経緯が功を奏した。
政権交代の効果は外交でも表れた。外務省の斎木昭隆事務次官が深夜午前2時に中国の程永華駐日大使を外務省に呼び、速やかに接続水域外に出るよう強く求めた。中国フリゲートは2時間20分近く接続水域内を航行したあと、午前3時10分、久場島と大正島のあいだを北に向かい、接続水域から出た。
中国の意図はどこにあったのか。海軍の艦艇が尖閣諸島付近の接続水域に入ったのは、今年6月9日が初めてである。これまで中国海警局の公船が領海や接続水域に侵入したことは何度もあったが、軍の艦船が侵入したことはない。
中国の「海警」は、国際法上「その他の政府船舶」に当たるが、フリゲートは国際法上も「軍艦」である。実務上、両者は区別されている。現場の隠語でいえば「海警」は「白い船」だが、フリゲートは「灰色の船」である。実際、前者は白く塗装されているが、中国海軍や海上自衛隊には灰色(グレー)の塗装を施した艦船が多い。
日本の海上保安庁は、海の警察(または消防)である。陸を走るパトカーが白いのと同じように、海保の巡視船は白く塗装されている。他方、軍艦は目立たないよう灰色に塗装される。兵士が迷彩服を着るのと同じ理由だ。まさに一見してわかるとおり、両者の任務や役割、その能力は格段に違う(詳しくは山田吉彦教授との共著『尖閣激突 日本の領土は絶対に守る』扶桑社にて)。
その「灰色の船」が尖閣に現れ、日本の海に侵入した。
当初、中国は民間の漁船や抗議船を差し向けてきた。海上保安庁の制止を振り切り、乗員が不法上陸したケースもある。次が中国政府の公船。「海監」そして「漁政」と派遣される艦船の規模能力が拡大し、昨年12月22日には機関砲を搭載した中国公船が接続水域に侵入。その後、当該船舶は領海も侵犯した。
そして、ついに軍艦の登場となった。いわば名実ともの「グレーゾーン」事態が発生した(なお尖閣周辺には、民主党政権下の2012年9月にも中国フリゲートが2隻展開したが、当時の経緯等は月刊『正論』8月号拙稿に譲る)。
中国の狙いは何か。9日夜放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)が報じたとおり、専門家のあいだでも見方が分かれている。
中国はいまや四面楚歌だ。5月末の広島でのG7外相会談でも、伊勢志摩サミットでも「海洋安全保障」がテーマとなり(名指しは避けたが)中国の行動に対する懸念が共有された。シャングリラ会議(第15回アジア安全保障会議、6月3~5日)や米中戦略・経済対話(6月6日・7日)でも中国批判や中国に対する牽制が相次いだ。シャングリラ会議ではアシュトン・カーター米国防長官が36回も「原則(principle)」という言葉を使い「原則に基づく安全保障のネットワーク(principled security network)」を築くと演説した。いわゆる「九段線」を主張し、南シナ海のほぼ全域が「古来より中国の海」と主張する中国に対して、フィリピン沖スカボロー礁の埋め立てはけっして容認しないと強く牽制。「中国は孤立の“万里の長城”を築いている」とも指弾した。会議で中国を支持した国はなく、中国の孤立が際立った。
米主導の“対中包囲網”に対する反発があったのかもしれない。南シナ海の問題から世界の目を逸らそうと、東シナ海で挑発した可能性もありうる。当時実施されていた日米印の共同軍事演習に対する牽制の可能性もある。実際、6月15日の領海侵犯はインド軍艦艇を追尾する航跡だった。それがたんなる偶然とは考えにくい。
同様に、9日の接続水域侵入も、中国フリゲートがロシア艦を追尾する航跡だった。たんなる偶然とは思えない。「日米同盟への挑戦といった趣旨ではなく、中国が領域を主張している尖閣周辺海域を、ロシアの軍艦が通航したことを受けた中国としての主権的行動」と見る専門家もいる。以上どれか1つだけが正しい見方ということではあるまい。
要は、中国が機会をうかがっていた最中、絶好の機会が訪れた。ロシア艦の出現は、日本の接続水域に入る格好の口実になった。そういうことであろう。
一部マスコミは「軍の暴走」説を唱えたが、フリゲートや情報収集艦には、中国共産党の政治担当士官が乗艦していた蓋然性が高い。その意向を無視して「暴走」できるほど、中国軍は甘くない。
正確にいえば、中国に「中国軍」など存在しない。中国国営CCTVのニュースを見ると、中国人アナウンサーが「日本人が中国軍と呼ぶ人民解放軍」と話す場面に出くわす。べつに正式名称を論っているのではない。
中華人民共和国(中国)の憲法は、その前文で「中国共産党の領導の下、マルクス・レーニン主義」云々と明記し、共産党が中国を「領導」する執政党(政権担当政党)と位置付けている。「領導」は「指導」よりも強く、上下関係のなかで用いられ、「上から命令し、服従を強いる」のが「領導」である。
人民解放軍(中国軍)はどうか。憲法第93条と国防法第13条が「中華人民共和国中央軍事委員会は全国の武装力量を領導する」と明記。国防法は「中華人民共和国の武装力量は、中国共産党の領導を受け、武装力量内にある共産党組織は共産党の規則に従って活動する」(第19条)と明記する。解放軍は共産党が領導する、いわば「党の軍隊」であり、国家の軍隊(中国軍)ではない。「党が鉄砲(軍)を指導するのであって、鉄砲が党を指導するのではない」(毛沢東)。
日本の自民党は「自衛隊」を「国防軍」とする憲法改正草案を公表しているが、中国共産党内の議論は真逆である。
もし、解放軍を「国防軍」にすれば、「党の軍隊」ではなく「国家の軍隊」となってしまう。軍の防護対象が共産党(政権)ではなく国家そのものとなる。それでは、もし内乱が起こり、軍が中立を維持すれば、政権が倒れてしまうかもしれない。共産党にとって、それは避けたい。だから解放軍の「国防軍」化論は潰されてきた(拙著『日本人が知らない安全保障学』中公新書ラクレ)。
共産党の人民解放軍である以上「軍の暴走」という見方自体が的を射ていない。
更新:11月22日 00:05