2015年11月28日 公開
2024年07月30日 更新
(聞き手:Voice編集部)
——まず、木村選手がボクシングを始められたきっかけを教えてください。
木村 中学校2年生のときに、『輝く日本の星!』(TBS系列)というドキュメンタリー番組が放送されていました。たまたま見た回が、「次世代の具志堅用高をつくる」と題して、全国から集まったボクシングをする小・中学生の運動能力を試すテストを行ない、厳しい課題を与えて天才ボクサーを見つけ出す内容でした。
——和田アキ子さんと古館伊知郎さんが司会で、秋元康さんが番組の構成を担当してましたね。
木村 オーディションを通して素人からスター候補を発掘するAKBに近い仕組みを、当時から秋元さんは模索していたのかも(笑)。いずれにしても、同世代が一生懸命何かに取り組んでいる姿に衝撃を受けて、「ボクシング、格好いいなぁ。やってみたい」という気持ちになったことを覚えています。
実際にボクシングを始めると、有料のテレビ放送で世界タイトルマッチ(WBA・EBC・IBF・WBOなどのメジャータイトル戦)をよく見るようになって、マイク・タイソンやプロ史上初の六階級制覇を成し遂げたオスカー・デ・ラ・ホーヤなどの輝きに憧れていました。国内では畑山隆則選手や洪昌守(通名は徳山昌守)選手のように防衛戦で勝ち続けてチャンピオンベルトを守り抜く強さの秘密を分析していました。
——本格的に競技を始めたのは高校に入ってからですか。
木村 はい。ボクシングの強豪校である習志野高校で、インターハイベスト4とか、関東大会で優勝する選手が部内にゴロゴロいました。高校2年生のときに国体準優勝とインターハイでベスト4の成績だったのですが、先輩たちの戦い方から調整方法や練習姿勢を学べる環境だったのが大きいですね。
ところが、優勝を期待された肝心の高校3年時にさっぱり結果が出ませんでした。インターハイはベスト8止まりで、国体も一回戦で負けてしまった。初めての挫折経験で、「2年生のときと同じく3年生でも結果を出さなければいけない」というプレッシャーがかかり、本来の自分の動きができなかった。他の競技と同様に、ボクシングも最後は、精神力で勝敗が決まるスポーツです。リングに立つときに、恐れや不安があると歯車が狂ってしまうことがよくあります。
——高校卒業後はプロにならず大学に進学しました。
木村 高卒でプロになる選択肢も考えましたが、どうしても大学、社会人でチャンピオンになりたいという決意と、そのプロセスなくしてプロでトップは獲れないという思いがあったので、まずアマチュアで日本一になることを目標に切り替えました。初心に戻り、チャレンジャーとして試合に臨みたいという思いもありました。
大学ではコーチがトレーニングのスケジュールを決めることが多いのですが、自分で練習のメニューを組み立てて決める癖を付けるようにしました。コーチが「こうしろ、ああしろ」と細かく指示をしてしまうと、本番のリングの上で指示どおりにいかなかった場合、臨機応変に立ち回れなくなります。リングで戦うのは自分ですし、頼れるのも自分しかいません。リングの上では、競技に直接必要ない感覚はシャットアウトされます。聴覚がOFFモードになり、周りの声は聞こえない。頭のなかはつねにハイスピードで回転していて、身体の感覚に任せて試合をしているようなものです。そこで想定外の展開が生じた場合にどうするか、いつもクールな状態でベストな判断を下すことが求められます。そのためには普段からシチュエーションに応じて自分で考え、決断する能力を身につけておかないと強くなれません。
更新:11月21日 00:05