2015年12月01日 公開
2023年02月07日 更新
次に、第1の論点に移ろう。TPP農業交渉の問題点とその後の農政のあり方である。妥結直後の安倍総理の会見内容にすべてが集約されている。
「聖域なき関税撤廃は認めることができない。これが交渉参加の大前提であります。とくにコメや麦、サトウキビ、テンサイ、牛肉、豚肉そして乳製品。日本の農業を長らく支えてきたこれらの重要品目については、最後の最後までギリギリの交渉を続けました。その結果、これらについて関税撤廃の例外をしっかりと確保することができました。(中略)新たに輸入枠を設定することとなるコメについても、必要な措置を講じることで、市場に流通するコメの総量は増やさないようにするなど、農家の皆さんの不安な気持ちに寄り添いながら、生産者が安心して再生産に取り組むことができるように万全の対策を実施していく考えであります」
コメについて要約すれば、自由化は避けた(現在の国産米より高い㎏341円の高関税を維持)。その見返りに、輸入枠は増やした(米豪から5・6万t、13年目以降7・84万t)。その分、政府が買い上げる国産米の量を増やしていく。その結果、コメの供給量は変わらないから、米価の下落を抑えられるはず。加えて、補助金を増額するから安心してくれ、とのメッセージである。
総理はTPPでコメを守ったというが、これでは日本の稲作産業は衰退まっしぐらだ。今回のTPP交渉でコメと競合となる麦については、関税に相当するマークアップ(農水省が輸入時、徴収する差益)は45%から最大50%削減されることになる。つまり、麦の価格は下がっていく一方、コメの価格は高止まりをめざす、といっているのだ。よって、麦を使った食品開発はさらに進み、買いやすくなる一方、人為的にコメ離れが進んでいく。さらには、農水省は飼料米への補助金額を大幅に増額し、家畜用の作付面積を増やすことで人間が食べられるコメを減らし、隔離する愚策強化を図っている。
この最悪の政府シナリオを予見し、筆者は今年8月2日段階で次のように問題提起したが、現実のものとなってしまった。
「TPPの妥結が迫っている。しかし、日本政府は相変わらず、コメの輸入枠を増やすという禁じ手で交渉相手国の譲歩を最後まで求めている。自由貿易を否定する暴挙であり、国家同士の管理貿易強化に帰結する。これは、米国にとっては自由競争をせずとも、日本への輸出枠を確保し、自国の農業界に対するメリット提供を意味する。対する日本政府にとってはコメの輸入量を人工的にふやすにもかかわらず、『聖域を守った!』と喧伝できる口実となる。あたかも国際交渉に勝利したという幻想=国内政治的ポーズを農業界に対して示すことだけに意味があるのだ。つまり、国内に農業・農村票をかかえる日米の政治家同士の手打ちである。しかし、その結末は、日本の消費者の負担増のみならず、国内穀物生産の減産政策を助長し、残念ながら、より補助金に依存する農業政策に直結する。このシナリオの勝者は、輸入権益、補助金予算を自動的に強化、増大できる日本の農水官僚である」(『日本よ!《農業大国》となって世界を牽引せよ』あとがきから一部抜粋)
換言すれば、国主導の農政に先祖返りである。発展に真っ向から逆行する、3つの政府介入(1)国家貿易の維持(2)作物差別的な補助金設計(3)食品工場の海外移転促進政策がTPP後も継続されることになった。
本来、農家の創意工夫で増産すれば、作物は余るものだ。余ったときに農業は初めて産業になる。どうやって売るか考えるようになるからだ。面積当たりの収穫量は増え続け、土地も余る。それは農家にとって、ボーナスである。同じ面積で、新たな作物に取り組め、収入が増やせる機会になるからだ。輸入が自由化されれば、世界から新たなコメ食文化、商品が広がる出発点に立てる。モノの動きを不自由にしたまま、継続的に発展した産業はいまだかつてない。
最悪なのは、(1)の農水省のコメ輸入独占業務「国家貿易」を温存したことである。その1点をもってして、筆者にいわせれば、TPPは“たるんだ”協定となった。この広がる経済圏において悪しき慣習をつくってしまったからだ。将来的に参加の意向を示している中国の農産物マーケットを想定してである。政府は輸入を規制したまま、コメの輸出振興を図っているが、そんな自分だけに都合のいいルールなどありえない。
かつてのレアメタル問題に代表されるように、貿易への国家(国営企業や政府による)介入は中国の18番である(ちなみにロシアはウクライナ問題に対する経済制裁として、農産物の輸入規制を継続中だ)。要するに、いずれ中韓露が参加意向を示した際、日本自らが介入を「聖域を守った」と正当化するなか、彼らの介入を禁止する条件交渉で積極的な役割を果たせるはずがない。もちろん、日本が高関税を残したままでは、相手国に対して関税撤廃どころか削減交渉すらできるはずもない。このままでは中国マーケットに向けた農産物の輸出増大は絵に描いた餅である。
現在、中国は日本米に対して法外な検疫条件を課している(日本米には中国未発生のカツオブシムシがいるとされ、輸出前に全量「燻蒸」しなければならない。当然、食味は下がり、コストは上がる。昨年の中国向けの輸出額はわずか8000万円にとどまっている)。その他、輸出解禁されている品目は青果がメインで、牛肉や乳製品は禁止されたままである。
もう1つの問題、(3)食品工場の海外移転促進の加速化についても触れておこう。
長年の農業保護政策とは、食品の基本原材料(政府のいう「聖域」である重要品目)に高関税を課す一方、加工食品については低関税か無税で輸入することだった。食品産業はこれまで、重要品目と政府が呼ぶコメや麦、デンプン、砂糖、バターなど乳製品、生肉など基本食材を国際価格の2、3倍以上で調達してきた。工業界で例えれば、日本だけが石油や鉄、銅などを他国の数倍の価格で輸入しているハンデを背負った状態と同じである。
この政策が何を促すか一目瞭然だ。食品工場の海外移転である。日本で高い原料を買うより、海外で原材料を調達、加工し、低関税か無税で日本へ輸出したほうが儲かるからだ。われわれが日常食べているものの7割が加工品である。農業界にとっても、最終顧客の大半が加工業者であることを意味する。にもかかわらず、この政策によって移転を促進させ、国産農産物の実需低減、地域雇用の低下をもたらすなど、地方の疲弊に直結してきた。これが背景と経緯である。
他方、農産物の域内関税を大幅削減したEUでは各国の得意な原材料農産物の移動が自由化したため、食品産業の競争環境が整った。そのおかげで、食品加工が得意な国・地域に原材料が集まり、農産物の輸入が増えるほど輸出も増えるという加工貿易が活発化した。同時に、海外需要が増えることで、国内農産物の需要も底上げされる環境が整い、農業の成長産業化が始まる契機となった。
今回のTPP交渉で、筆者が当初から提言してきたとおり、日本も「聖域」をなくしていれば、農産物の加工貿易が発展するスタートラインに立てたはずだったが、結果は違った。低関税・中関税だった加工品のほとんどは数年で無税化の道を辿り、上に挙げた「重要」品目は徐々に関税は下がるものはあるが、安倍総理が力説したように、全般的に「聖域」が残ってしまった。
要するに、原材料農産物は高関税のままか少しだけ下がり、加工品は一気に下がる。これでは食品産業にしてみれば、短中期的にも長期的にも海外で製造したほうが「よりお得」という結論しか導き出せない。聖域が残って、農業者の顧客がいなくなっては本末転倒である。売り先の減少により、国内農産物の過当競争が激化し、農場の利益率が低下する。農業保護どころではない。
この点については、気が早いといわれるかもしれないが、TPP再交渉戦略についてまたの機会に詳しく提言したい。
もちろん、妥結によって農業界にメリットがまったくなかったわけではない。日本の農産物輸入関税が下がったと同様、ほかの加盟国の関税も下がった。数例を挙げれば、マレーシアとベトナムのコメ関税が40%からいずれゼロに、両国やメキシコのミカンやブドウ、モモ、リンゴなどの果実に対する数10%の関税も同様に撤廃される。世界最大の農産物輸入国であるアメリカは、ほぼすべての品目で関税撤廃に応じた。日本からの有力輸出品目であるコメや牛肉、日本酒、茶、さくらんぼ、イチゴ、メロン、ナガイモ、切り花、醤油などである。
日本だけが自由化を求められているような論調もあったが、結果を見れば明らかに違っている。他国の自由化率(関税ゼロ品目の割合)が平均99%に対し、日本は唯1、95%止まりともっとも開放比率が低い。
参加当初は「TPP交渉参加11カ国は食料の輸出国ばかりだから日本のみ輸入が急増する」との反対論があったが、こちらは端から事実と異なっていた。11カ国の農産物輸入こそ急増している。経済成長と人口増加によって、ここ10年で、859億ドルから2308億ドルへと約3倍増している。TPP輸入市場とは日本農業にとって輸出市場である。日本の農業GDP653億ドルの4倍に迫る農産物マーケットが現れたのだ。
過去5年間、情緒的で無根拠な反対論が際限なく繰り広げられるなか、その再反論に筆者も奔走してきた。今回のTPP妥結に不十分とはいえ意味があったとすれば、われわれに自由の原点を少し思い出させてくれたぐらいだ。
輸入を不自由にすれば、輸出も不自由になる。経営を不自由にすれば、発展も不自由になる。不自由は現状維持さえ危うくする。長く続いてきた保護主義という名の不自由強制を当たり前と思い、そんな基本的なことを忘れがちであったのではないか。
過熱化しはじめたTPP対策予算の分捕り合戦を繰り広げている者に告げる。農家の自由はTPPによって生まれるのではない。日本の農業界が自ら戦い、勝ち取っていくものである。「農業のことは農業の当事者、農家の判断に任せればいい」――それが真の自由化である。
※2015年10月26日執筆
更新:11月22日 00:05