2015年12月01日 公開
2023年02月07日 更新
以上のルールは、日本からの農産物・食品輸出にあたり、相手国の障壁改善にも直結する。日本の農業者や食品事業者が国際基準に整合した相手国検査に合格する商品を輸出したとする。にもかかわらず、仮に相手国が自国の生産者を守ろうと恣意的に不合格とし、輸入をストップしたとしよう。言い換えれば、SPSはあくまで食の安全のためのもので、国内農業保護の隠れ蓑にSPSを使ってはならないというルールに違反した場合だ。
そういうときに、情報公開要求や技術的協議ルールがその是正に効力を発揮することは容易に理解できる。結果として、安全基準が厳格化されることはあっても緩和されることはない。
こうしたルールを知ったうえでも、TPPによって食の安全基準が下がるという主張もありえるだろう。デッドラインを設けることで、WTOに比べ拙速な議論にならないか。それによって、安全基準が下がらないか、また、アメリカの言いなりになるのでは、といった言い分だ。それをいうなら、科学的な調査を行ない、判断を下す専門家を誰も信頼できない、といっているに等しい。日本人の専門家であっても間違えることは当然ありえる。2カ国協議であれば政治的力関係に左右されることはありえるが、TPPという12カ国が関与することで偏らず、よりバランスと整合性のとれた結論が導きやすい点も注目すべきだ。
それ以前に、国際基準自体がアメリカに操られるのではないか、という言い分も成り立つかもしれない。百歩譲って仮にそういう基準があったとしよう。WTOならびにTPPのSPS規定では、日本は科学的なリスク評価に基づいていれば、国際基準より高い安全基準を設けることは妨げるものではない。
その証拠にBSE牛肉問題の際、日本はアメリカから過剰規制だと抗議されるなか、独自のリスク評価でその禁輸を続けた実績がある。日本に限らず、WTO加盟国161各国がその権利を有している。当然、新たな規制を輸入農産物を増やさないための口実として使ったり、相手国によって恣意的に異なるルールや不当な差別が生じるようなものは禁止されている。
SPS規定に加え、TPPによってさらに加盟国消費者のための食の安全を高める包括的な体制がつくられたことはほとんど知られていない。意図的にルール違反しているわけではなく、国際基準を満たす意思のある国々への対応だ。技術面や制度面が未整備のため完全に履行できない発展途上の国もある。たとえば、協定21章「協力及び能力開発」である。「協定の合意事項を履行するための国内体制が不十分な国に、(筆者注:先進国が)技術支援や人材育成を行うこと等について定める」条項だ。
こうした体制整備についてはそのほか、5章「税関当局及び貿易円滑化」、17章「国有企業及び指定独占企業」、25章の「規制の整合性」、26章「透明性及び腐敗行為の防止」、27章「運用及び制度に関する規定」、28章「紛争解決」、29章「例外」、30章「最終規定」などが相互補完する仕組みになっている。
かつてTPP反対論者の紋切り型の批判として、「TPPは農業分野だけではない。24分野もある。すべてで自由化されれば、国が亡びる」といった議論があった。これまで読めばわかるように、農産物や食の安全の1トピックを取ってみても、その整合的な実現をめざすために5年の時を積み上げて、相互に関連する30章から成り立つルールブック(協定)を作ってきたのである。日本の交渉参加当時、そのうちの24章が進行し、明らかにされていただけだが、国際通商協定の分析についてずぶの素人であった反対論者らは、それを勝手に24分野と誤読し、間違った解釈・情報を拡散していただけなのだ。
もちろん、ルールブックを作ったからといって、すべてがうまくいくわけではない。たとえば、通関で役人に賄賂(26章が扱う腐敗行為の一種)を払って危険な食品を輸出入するといった犯罪行為が一晩でなくなるわけではない。政府事業入札での贈賄など、日常茶飯事の国もある。TPP加盟国の一部政府は少なくとも、そうした行為の横行、対策に頭を悩ませているのは確かだ。であればTPPを活用してよりよい制度を導入したり、人材育成の支援を仰ぐなど地道な対策を講じればよい。
もっと開かれた豊かな国になりたい、と同時に公平な共通ルールを採用したいという国々が集い、切磋琢磨していくルール・メイキングと課題解決の場としてTPPがある。こう正確な認識に改められれば、反対論者に影響されてきた読者も腑に落ちるのではなかろうか。
それでも、遺伝子組み換え(GM)作物の貿易に懸念をもつ読者がいるかもしれない。GM作物について、TPPでは「承認に際しての透明性の向上(申請に必要な書類、危険性・安全性評価の概要の公表)、未承認の遺伝子組み換え作物の微量混入事案についての情報の共有(開発企業からの情報提供の促進等)、情報交換のための作業部会の設置等」を規定した。
わかりやすくいえば、各国の法令および政策の範囲内での対応を求めるものであり、日本については現状と何ら変わらない。途上国にとってはTPPを通じて、GM作物についての情報が得やすくなったり、他国の制度を参照しやすくなるなどメリットが大きい。アメリカ主導ですべてが決まるとの反対論者の主張はここでも誤っていた。促進派のアメリカに対し、慎重派の日・豪・ニュージーランドが交渉した結果である。その賛否は別として、テーマごとの是々非々について、ここでもTPPという多国間交渉のメリットが発揮されている。
ほかの反対理由を探せば、食料をある国に依存しすぎれば、ある日突然、輸出をストップされたらどうするのか、という議論もあった。これについてはまず今回のルールで、輸出をしづらくする「輸出税の禁止・撤廃」が決まった。これはWTOでは、そこまで規定のないTPP独自のものだ。
輸出制限については、WTOにないルールとして以下が加わった。「(1)実施30日前までに通報すること(2)輸出制限措置を導入する必要性について情報提供すること(3)締約国からの質問に対して14日以内に書面で回答すること(4)輸出制限措置は原則6カ月間とし、対象品目の純輸入国との協議なしに12カ月を超えて維持できないことを規定」する。反対派の杞憂とは反対に、これまでより規律が高まったことは間違いない。
わざわざこのルールがなくても、輸出国(実際は国というより各農業者、食品業者、商社などの民間事業者)は相手国に顧客がいるから生産・販売しているわけである。当該国政府が何らかの理由で輸出をストップして困るのは民間業者のほうである。第3国を迂回しても届けようとするのがビジネスだ。仮にそれがストップされれば、競争相手の他国の事業者が商機を見出し、こぞって日本へ輸出を始めることは交易の歴史が証明している。
アメリカがかつてソ連に対して食料の輸出禁止をした際、フランスに需要を奪われ、怒った農家がその大統領を再選選挙で落としたこともあった。新大統領は解禁を公約に掲げ、農家、地方票をがっちり掴み当選したことはいうまでもない。自由資本主義、民主主義国には、国民の反対を押し切って長期に禁輸などできないメカニズムが内包されているのだ。だからこそ、TPPはそうした価値観を共有する国が参加しているのである。
そうはいっても「もしものとき」はどうするのか。そのためにあるのが石油備蓄であり、食料備蓄である。税金を使って、どれだけの期間分の備蓄を保有するのかはまた、政策議論と選挙を通じた国民判断である。
更新:11月22日 00:05