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五輪エンブレム問題から学ぶ――現代人が守るべき表現倫理とは

2015年09月14日 公開
2023年01月12日 更新

小浜逸郎(批評家)

デザインの世界特有の事情

 

 さて問題のシンボルマークやロゴデザインですが、この世界にもこの世界特有の事情があると思います。

 1つには、デザインの世界は、抽象絵画やシュルレアリスムやポップアートなど、古典的な美の伝統を壊してきた20世紀以降の美術から生まれた歴史をもっています。そういう経緯もあって、これらのデザインはシンプルなものが好まれるという特色があります。ということは、意識的にも無意識的にもパクられやすいと言えるのではないでしょうか。

 いま盗用ではないかと疑われている佐野氏のデザインは5つありますが、五輪のエンブレムを含め、どれも、うーん、意識的な盗用とも言えるし、そうではないとも言えるなあと、正直なところ判断に窮してしまいます。ちなみにこの中でもっとも「盗用」の疑い濃厚なのは、「おおたBITO太田市美術館・図書館」のロゴですね。しかし全体としては、この程度のことは、この世界ではいくらでもありうるのではないか。

*注記:その後、「涼」という文字を中心にしたデザインでも、盗作疑惑が出ました。

 

 ただ問題は、これらが1つのデザイン事務所からこれだけ多数出てきたという点です。このデザイナーおよび事務所のスタッフは、どうもそういう安易な方向に走りやすい傾向をもっている(わりと気にせずにこれまでそうしてきた)とまでは言えそうです。しかしまた、この疑惑の発端が東京五輪というとてつもなく大きな国際的プロジェクトであったからこそ、世界中の視線を集めてことさら騒ぎが大きくなってしまったという面もありそうです。もしかすると、氷山の一角なのかもしれません。

 なお、東京五輪エンブレムの審査委員代表・永井一正氏によると、佐野氏の原案にはベルギーの劇場名の頭文字「L」を想起させる右下部分はなかったそうです。その後、組織委と佐野氏とのあいだで他の商標との類似を避けるために協議を重ね、最終的に現デザインに決まったということです。また、世界中の登録商標を調べたがベルギーのものは載っていなかったとも(『朝日新聞デジタル』8月26日付)。8月28日、組織委はデザインの原案を公表しましたが、その後、どのような修正を経て現デザインになったのか、審査プロセスも含めてすべて公表すべきでしょう。

*注記:その後、佐野氏自ら、このデザインの採用から「降りる」ことを表明し、組織委は、白紙撤回してエンブレムの公募をやり直すことを発表しました。その折、審査プロセスも一応公開されましたが、他の候補作は公表されませんでした。また、佐野氏の原案自体にも、他の方面から盗用疑惑が提出されました。話がここまでもつれた以上、白紙撤回以外に解決の道はないでしょう。

 

真に価値あるものか

 

 ところで、デザイン制作という領域には、建築デザインなどに典型的なように、これまで述べてきたジャンルにはない厄介な問題があります。それは、依頼主からのオファーやコンペなどがあって初めて制作が開始されるという点です。これは、もともと純粋に自発的・自立的な芸術作品とは言えない面があることを意味します。もちろん、文学や音楽や絵画芸術でも、注文を受けて初めて制作に取り掛かることはいくらでもあります。しかしこれらは、たとえお金がもらえなくとも、強い内発的な表現欲求に支えられて成立することが可能です。それは、これらが、日常生活の実用的な役に立たないということと表裏の関係にあるでしょう。

 しかしデザインという領域は、実用性と深く結び付いています。そのことは、その制作過程そのものに独特の条件を課すことになるだけではなく、つねに顧客の意図に合致しなくてはならないという制約を帯びることを意味します。シンボルマークやロゴデザインの場合は、この制約はどのようなかたちをとるでしょうか。それは2つあると思います。

 1つは、特定のイベント目的や建造物のイメージに合致しなければならず、それを果たすことによってかなり巨額のお金が動くということです。要するにつねに主人もち、ひも付きという条件のもとに仕事が成立するのです。言い換えると、ある種の政治性がいくらでも介入してくる余地があります。これは、小説や絵画芸術や音楽の作品が結果的に人気を得てお金が儲かるというのとはまったく意味が異なります。

 もう1つは、こういう領域の作品は、なるべく多くの大衆に公開されることが原則だという点です。この原則は、単純明快な形態を要求しますから、ユニークで凝ったデザインの追求がしにくいのですね。

 以上2つの制約は、あまり芸術的センスなどのない凡人の受けを狙わなくてはならないということでもあり、それは結局、どこかで見たことがあるようなものが生まれやすいことを意味します。ちなみにこの指摘は、けっして佐野氏を擁護しようと思ってのことではありません。あくまで、現代では私たちの集合無意識がそういう風潮、そういうステージに乗せられているという事実を強調したいがためです。

 

 もっとも、老舗であるツムラ(旧津村順天堂)の中将姫やスターバックスのセイレーンなどは、描線の多い複雑なロゴですが、とても印象的でかえって人口に膾炙しやすいですね。また大成建設のロゴはそこそこ複雑ですが、「土建屋」のイメージを払拭したたいへん優雅で斬新なものです。いっぽうアップル社のそれは、逆に単純明快で、誰でもすぐ覚えるものでありながら、なかなか人が思い付かないユニークさをキープしています。

 ですから、シンボルマークやロゴデザインにはそれ独特の制約があるものの、本当に真剣に工夫するならいくらでも可能性はあるということもまた言えそうです。

 いろいろとまとまりなく述べてきましたが、最後に結論を箇条書きのかたちで出しましょう。

 (1)現代のような高度情報社会では、地球規模でイメージの交錯現象が起こり、あちこちでよく似たものが生み出されやすい。このことは同時に、作品が意図的な盗作であるのかそうでないのかの判定を難しくする要因ともなっている。

 (2)このようなコピペ時代の流れは抑え難く、今後ますます進展していくだろう。私たちは、このことを前提として著作権の問題を考え直す必要がある。

 (3)個人的な考えとしては、明らかな盗用でないかぎり、著作権侵害をあまりに言い立てるのは慎みたい。制作物は過去の作品の模倣と継承によってしか成り立たないからである。人が真似してくれるのは自分の作品が優れているからだという余裕の心も必要である。ただし金銭的利害が絡む法的な問題は、これとは別であるが。

 (4)芸術表現に接する場合に大切なことは、「個人の純然たる創造」という観念に固執することではなく、ある制作物が真に価値あるものであるかどうか、その場合の価値の基準とは何かを真剣に考察することである。

<掲載誌紹介>

2015年10月号

いよいよ中国のバブル崩壊が現実味を帯びて論じられるようになった。日本経済も何らかの影響を免れない。そこで、10月号は「どん底の中国経済」との総力特集を組み、津上俊哉氏をはじめ、日高義樹氏、古森義久氏、福島香織氏、田村秀男氏、渡邉哲也氏の論考を掲載した。
注目記事は、3本の対談。第95代総理大臣の野田佳彦衆議院議員とパナソニックの津賀一宏社長が「日本の課題」を、地方創生担当大臣の石破茂氏と京都市長の門川大作氏が「地方創生」を、ケント・ギルバート氏と呉善花氏は「韓国問題」を、それぞれ論じた。
今月号も、日本を取り巻く経済や外交、安全保障の近未来を占ううえで不可欠な視点を提供している。ぜひ、ご一読を。

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2024年12月

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発売日:2024年11月06日
価格(税込):880円

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