2013年09月11日 公開
2024年12月16日 更新
2020年夏季五輪が東京で開催されることになり、日本中が喜びに沸いている。筆者は8月末に官邸がかなり自信を持っているときいていたが、その後原発汚染水問題がにわかに浮上し、先週筆者が訪問していた英国でも、東京が落選するとすればこの問題のためだろうとの声があった。同地で耳にした、選考委員にはスポーツ界の代表がかなり入っており、彼らは選手の健康に非常に神経質なので汚染水問題の影響は大きい、という分析はなかなか説得的だった。こうした懸念があるなか、安倍首相がスピーチで真正面から汚染水問題をとりあげ、質疑においても落ち着いて対応したことは、五輪招致を獲得するためのコミュニケーション戦略として正解だった。
東京が選ばれたことは、日本が国際的に孤立していないことを内外にはっきり示す上でも有意義であった。東京が落選していたならば、中国や韓国が、歴史問題や領土問題をその理由として喧伝した可能性は高いし、それにより、日本国内での中国や韓国に対する忌避感情はいっそう根深いものになったであろう。
東京が開催地に選ばれた理由についてはロビイングや最終プレゼンの成功などさまざまな分析がなされているが、やや広い視点で見ると、第二次安倍政権が誕生して以降、日本が勢いを取り戻したという国際的認知が定着したことが大きな背景をなしていたのではないか。仮定の話だが、野田首相が後々まで解散をひきのばしていたならば、誕生したばかりの新政権には五輪招致までに日本の停滞イメージを反転させる時間的余裕はなかったはずである。
無論、五輪開催決定はひとつの通過点に過ぎない。東京五輪を成功裏に開催すること、そしてそれ以上に、東京五輪を持続する日本の活力につなげていくことがこれからの課題となる。
オリンピックは開催国にとってまたとないパブリック・ディプロマシー、国家ブランディングの機会となる。プレゼンテーションでも強調されていたように、来る東京五輪は日本、とりわけ被災地の復興を示す好機である。そのストーリーラインでの演出が五輪の中で行われることは当然として、世界の目もあらためて被災地の実情に向けられることになるだろう。無論、それが期待したような結果を生むかどうかは、そのときまでに被災地が活力を取り戻しているかどうか次第である。加えて、招致の過程で懸念されていた汚染水問題をはじめ、原発事故処理が収束しているかどうかは、国際的な評価の死命を制しうる。今後も五輪報道をするメディアがこの問題に高い関心を持ち続けることは確実であり、東京での五輪開催がなかった場合以上に、原発事故被害は国際的な注目を集めることになる。安倍首相による「状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」という説明と矛盾する状況に対しては、厳しい目が向けられよう(すでにその兆候はみられる)。北京五輪では少数ながら、大気汚染による出場辞退の動きがあった。健康への悪影響への懸念から多くの選手が不参加、という事態だけはさけねばならない。強固な反原発の信条を持つアスリートもいるだろうし、科学的、客観的根拠が無くともそうした動きが出てくる可能性もある。いずれにせよ、五輪開催の有無にかかわらず、日本の官民が総力を上げて事態をコントロールすべきことは論を俟たず、それに失敗するリスクに対しての緊張感をもつことが求められる。
原発事故に限らず、東京五輪は日本のマイナス面に世界の耳目を引く機会になりうる。北京五輪に際して、同時期に発生したチベット問題や中国製品の安全性問題、あるいは国内の人権や格差について大々的な報道がなされたことを想起すべきだろう。いかなる社会にも負の部分は存在し、日本のような自由な社会はそれを隠蔽すべきではないが、日本の特定部分(たとえば捕鯨や歴史認識)に悪感情をもつ集団にとって、五輪は絶好のPR機会であることに留意が必要だろう。
外交的にも、五輪の開催が日本の国際的な存在感を高めることは間違いない。多くの要人が日本を訪れ、首脳同士の会合をはじめ、内外のカウンターパートが交わる機会となるはずだ。ただし、五輪外交のインパクトは大きいものの、多くの場合その効果は短期的でもある。その意味で興味深いのは、日本政府がインストラクターの派遣や用具の提供などを通じて途上国のスポーツ文化育成を支援する「スポーツ・フォー・トゥモロー」というプログラムを実施する方針を明らかにしたことである。とりわけ多くの若者がスポーツを通じた交流をすることで日本と世界の結びつきはより豊かなものになっていくことを期待したい。
他方で、東京五輪を成功に導くことを優先することで、日本の対外行動に制約が生まれる可能性もある。逆の面から言えば、領土などをめぐって緊張が高まるようなら、五輪ボイコットをカードに日本に揺さぶりをかけたり、東京五輪にダメージをあたえるべく実際にボイコットしたりということもあるかもしれない(そうした試みは逆効果になる可能性が高いが)。
五輪招致の成功は、対外広報の分野においてもひとつの転換点となるかもしれない。開催地獲得は、まぎれもなくオールジャパンでの対外広報、招致運動の成果である。汚染水問題という直前に浮上した問題をもしのいで結果を出した安倍政権が、これにより世界的なパーセプション・ゲームで勝負できるという自信を持ったとしても不思議はない。これ以前にも、安倍政権の対外広報はかなりの程度うまくいってきた。先般訪れた英国でも、7月の安倍首相のロンドン・シティのギルドホールでの演説により、その時期頭をもたげつつあったアベノミクスへの懐疑論が潮の引くように消えた、との話をきいた。対外広報に苦手意識の強かった日本が、この分野に自信をもつことは結構なことであり、各種のグローバルなアリーナで積極的に勝負を挑むモメンタムが生まれることが期待される。だがこの経験から、対外広報を強化すればいかなるゲームにも勝利しうる、という短絡的な教訓を引き出すべきではない。ゲームの性格や難易度はそれぞれに異なるのであり、たとえば尖閣問題などの領土問題で国際世論の支持を得ることは投入資源と工夫次第で可能だろうが、歴史問題で安倍首相が志向する線での支持を得るのは、いかに対外広報を強化してもなかなか容易ではないのではないか。
何よりも肝心なことは、東京五輪の開催が一時のお祭り騒ぎに終わらないようにすることである。多くの人々が五輪の経済効果に期待しており、それなりの特需はあるのだろうが、過去の例をみれば、五輪開催後かなりの国が不況に陥っており、かけた費用に見合う経済的利益がえられないことも多いようである。財政事情の厳しい中、五輪のためだけに大規模な公共事業を行う余裕は日本にはなく、本来やるべきだった東京の都市再生やグローバル化を推進する契機として五輪関連事業を活かしていかねばならない。その意味で、東京都が五輪招致にかかりきりとなって、アベノミクスの第三の矢の目玉である国家戦略特区への対応が十分でないようにみえるのは気がかりである(国家戦略特区の第一次提案の締め切りは9月11日)。国家戦略特区と五輪開催準備のシナジーにより、国際競争力のある東京を創出することを目指すべきだろう。東京五輪は7年後だが、ふりかえってみると第一次安倍政権が誕生したのが7年前の2006年9月だった。光陰矢のごとし。安倍政権と猪瀬都政に勝利の美酒に酔う暇はないようである。
《PHP総研研究員コラム2013年9月10日掲載分より》
<研究員プロフィール:金子将史>*外部サイト
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更新:12月27日 00:05