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求められる抑止政策の再構築

2013年04月11日 公開
2023年09月15日 更新

金子将史(政策シンクタンクPHP総研国際戦略研究センター主席研究員)

 他国が侵略してきたときにそれを撃退する能力を備える事は国防政策の基本といえるが、実際に武力衝突が発生したときのコストは甚大である。したがって、そもそも侵略させないようにすることが肝心になる。現代の国防政策において抑止が中核的な位置を占めるのはそのためである。抑止とは「相手国を攻撃する費用と危険が、期待する効果を上回ると敵対者に思わせることで、自分の利益に反するあらゆる行動を敵対者に取らせないようにする努力(猪口孝他編『国際政治事典』(弘文堂、2005年))」のことをいう。

 2010年に策定された現行の防衛計画の大綱でも、「現実に核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠であり、その信頼性の維持・強化のために米国と緊密に協力していくとともに、併せて弾道ミサイル防衛や国民保護を含む我が国自身の取組により適切に対応する」「今後の防衛力については、防衛力の存在自体による抑止効果を重視した、従来の『基盤的防衛力構想』によることなく、各種事態に対し、より実効的な抑止と対処を可能とし、アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化とグローバルな安全保障環境の改善のための活動を能動的に行い得る動的なものとしていくことが必要である」といった記述にみられるように、抑止は重要な位置を占めている。だが、現防衛大綱策定からわずか2年の間にも、北朝鮮がミサイル実験や核実験を繰り返し、中国が強制力を用いて現状を変更しようとする姿勢を強めるなど、抑止の実効性を揺るがすような事象が顕著になっている。さらに、米国が同盟国に対する攻撃を抑止するという拡大抑止において従来圧倒的な比重を占めてきた核兵器について、オバマ大統領は北朝鮮の核実験直後という状況で行われた一般教書演説でも核弾頭の大幅削減を宣言している。安倍政権は防衛計画の大綱を見直す方針だが、そこではまさに、抑止政策の再構築が大きなテーマにならざるをえないだろう。

 その点でForeign Affairs の2013年3・4月号に米国の戦略論の大家リチャード・ベッツ(Richard K.Betts)が 寄稿した論文“The Lost Logic of Deterrence”は一読に値する。ここでそのエッセンスを要約してみよう。

 ベッツによれば、抑止とは「敵に対抗し、戦争を避けるという2つの競合する目標を結合する戦略」であり、その基本は「守る側が攻撃を打ち破ることができる、もしくは、守る側が報復として受け入れがたいダメージを与えうると敵が知るならば、敵は攻撃しない」というシンプルなものだ。抑止は冷戦期に米国の国家安全保障の背骨であったが、近年は方向性を失ってしまっているとベッツは断じる。

 まず、冷戦終結後、米国は、そうすべきではないロシアに対しては抑止に固執し、対ロ関係を悪化させてきた。米ロは敵対する面もあるがそれほど激しいものではなく、潜在的な抑止の持続は、ロシアからの無視できるような脅威に対する防御に寄与するよりも、政治的摩擦を悪化させている。

 ロシアに対する抑止の過剰は問題だが、それ以上に問題なのは、抑止を効かすべき相手に対してそれをしないことである。その結果イラクとの不必要で悲惨な戦争がひきおこされ、イランとのもう1つの戦争のリスクをおかしつつある。米国やイスラエルはイランの核兵器を抑止するよりも、予防戦争を好む傾向にある。だが、イランが破壊的な報復に直面しても核兵器の使用を決断するという前提は疑わしい。そして、予防戦争の甚大なコストを計算に入れる必要があるし、もし核兵器を使用すれば、指導者や治安機関、イラン政府の資産といったイランの体制をなきものにする、といった脅しは十分信憑性を持ちうる。

 そしてもっとも深刻なことに、中国との関係では、米国は抑止に頼るのかどうか分からないままでいる。そうした混乱が危機や危険な計算違いをもたらしうるにも関わらず。特に問題なのは台湾をめぐるシグナルの曖昧さだ。ベッツは米国の対中政策を信号になぞらえ、封じ込めるという赤信号でも、受け入れるという青信号でもなく、速度を落とせと警告するが、停止を強く求めるにはいたらないという黄信号を採用している、とみる。そして、黄信号によってかえってスピードを上げる運転手もいる、と釘をさす。

 ベッツ論文の影響というわけではないのだろうが、このところオバマ政権はロシアが神経を尖らせていた欧州へのMD配備を一部撤回するなど、対ロ抑止政策を修正しはじめている。米ロが一層の戦略核兵器削減にふみこむための下地であり、それは両国が互いを抑止対象とみなす度合いを低める方向性でもある(ただし先のベッツ論文は、敵同士でもない米ロに公的な軍備管理など必要ない、と述べている)。

 

 日本にとって喫緊の脅威である北朝鮮について、ベッツ論文は正面からとりあげていない。すでに核兵器を開発している北朝鮮のような国と比べてイランがより危険とはいえないのだから、イランの核使用について過剰に心配するには及ばない、といった風にイランとの対比で言及しているだけである。

 イランについては、その核保有することは防げないにしても、核使用することは抑止できる、というのがベッツの見立てである。北朝鮮の核保有を絶対にみとめないということが日本や米国の方針であり、外交政策としてはそうあるべきだが、現に北朝鮮の核戦力の能力が高まっており、北朝鮮がそれを放棄するとも考えにくい。その意味では、防衛政策としては、北朝鮮の核武装化を前提にして抑止の再構築を考えるべき段階といえる。その際引続き重要な要素となるのは米国による拡大抑止、とりわけ核兵器によるそれ(核の傘)である。核実験直後の2月14日の電話会談では、オバマ大統領から安倍首相に対し、「米国の核の傘により提供される拡大抑止を含め、日本に対する米国の防衛コミットメントは不動であることを明確に再確認したい」との発言があったというが、北朝鮮が米国本土にも到達しうるような核攻撃能力を獲得する可能性が高まるなかでは、米国から拡大抑止についての約束をとりつけるだけでは不十分かもしれない。米国との間で拡大抑止についてより具体的、実務的な協議を行っていく必要があるだろうし、日本自らの打撃力の獲得も考えていく必要がある。韓国内で核武装論が盛り上がっており、来年3月に期限が切れる米韓原子力協定の交渉でも、韓国がウラン濃縮や使用済み核燃料の再処理を認めるよう主張していることも気になる動きである。

 中国について、ベッツは米国の抑止政策が赤信号であるべきとも青信号であるべきとも明言していない。対立一辺倒だった冷戦期のソ連との関係と異なり、中国との関係が対立と協調が並存するものである以上、全体として「関与とヘッジ」という黄信号の政策をとることは日本にとっても米国にとってもやむをえない。しかし、中国の平和的とは言いがたい現状変更的行動が顕著になっている以上、ゆずれない点、抑止すべき行為を絞り込んでレッドラインを明確にすることが必要になってこよう。尖閣問題については、米国のコミットメントを確保しつつも、米国の意図を中国が誤認する可能性にも配慮して、打撃力を含む日本独自の抑止力を形成していくことが求められる。より視界を広げてみるならば、安倍首相がop-edで言及し、また2012年版の「PHPグローバル・リスク分析」でも指摘したように、中国の南シナ海への進出は、単なる膨張主義的な領土領海の主張というにとどまらず、冷戦期のソ連にとってのオホーツク海同様、中国のSSBNの聖域を確保し、中国の対米抑止力を向上させるという戦略的含意を持ちうる。こうした状況変化について日本自身はもとより日米間でもきちんと評価し、対応を考えていくべきだろう。

 現在政府内で行われているはずの防衛計画の大綱の見直しは、実際に有事が発生したときの対処能力をアップデートすることと並んで(それ自体も抑止力の向上に貢献しうる)、どのような対象のどのような行動に対していかに抑止を効かせていくかが重要な焦点とならねばならない。いうまでもなく抑止政策の再構築は、防衛省だけではなく、官邸や外務省などが深く関与する省庁横断的な作業であるはずのものである。

<研究員プロフィール:金子将史*外部サイト

 

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