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満員電車に揺られ、文句も言わず働き続ける...日本人はなぜ“資本主義”が好きなのか?

2024年09月02日 公開

佐伯啓思(社会思想家),斎藤幸平(経済思想家)

神なき時代の「終末論」

気に入らないことがあるとすぐにデモを行うフランス人、文句を言わず働き続ける日本人――その差はなぜ生まれたのか? 保守×左派の異色対談を、『神なき時代の「終末論」』より紹介する。

※本稿は、佐伯啓思著『神なき時代の「終末論」』から一部を抜粋・編集したものです。

 

日本とヨーロッパの自然観

【佐伯】僕は日本にはヨーロッパとまったく違う文化があったと思っています。違う考え方があったと思っているのです。

たとえば「自然」ということを考えてみると、やはりヨーロッパの自然の観念は、マルクスも物質代謝という言い方をしているように、自然というものを物質的にみているわけです。そこから人間に対して有益なもの、大事なもの、便利なものを引き出してくる。エネルギーの源泉として考えてしまう。それはギリシャの思考法にも通じますね。

たとえば、ここに木があるとします。木のなかに何か大事なものが埋まっていて、木を彫ることによって、そのなかから何かある製作物が生み出され、現れてくるというふうにギリシャ人はもともと考えていたのです。プラトンはそのギリシャ人の考え方を変えてしまった。人間の頭のなかにまず観念がある。こんなふうに作ろう、こんなふうに彫ってやろうとする観念です。

コップならコップのイメージがある。このイメージをもとにして材質にはたらきかけて、コップを作り出す。すると、ここにあるものは材質、マテリアルです。

マテリアルは物質で、そこから自然というものが単なる物質に変わってしまった。自然のなかに何か神的なもの、霊的なものが埋まっているという考え方がなくなって、単に人間が便利に扱える物質に変わってしまった。これは非常に大きな変化で、そこからヨーロッパには、デカルトなどの合理的科学も出てきます。

さらに科学技術の発想や産業発展という考え方も出てくる。自然を作り変えていけば、人間はそこから膨大なエネルギーを取り出すことができる、それが人間の幸せになるのではないか。これはやはり物質代謝です。こういう考え方が出てきてしまう。

ところが、日本人は必ずしも自然を物質的なものとは考えないのです。エネルギーが埋まっているものではなくて、自然のなかに神様がいたり、人間の感覚に訴えてくる根源的な生命力があったりする。こういうものを自然と考えた。すると、われわれには、簡単に自然をいじって自分の好きなように変えてしまうという発想が、もともとなかっただろうと思います。日本人のなかにそんな思想はなかった。

それがヨーロッパ、アメリカの影響で、近代になって、そうした発想に変わってしまった。ヨーロッパの近代を生み出した自然観の輸入により、どこかで自然観に大きな転換があった。しかし考えてみれば、自然も万物も全ては神が創った、そのうえで人間をその支配者にした、もしくは、人間が神に取って代わった。そういう近代思想はかなり特異なものですね。

その特異な思想をヨーロッパは生み出したから、これだけ巨大な文明を作り出したともいえます。そして、資本主義もそっくりそのなかに入って、その一番中心部に据わってしまった、と僕は考えたいのですよ。

 

どうして日本人は、かくも資本主義が好きなのか

【斎藤】なるほど、資本主義だけでなく、より広い自然観とか宗教感覚とかも、ヨーロッパを中心に発展した近代主義というものの特徴なのでしょうね。

おっしゃるように、日本がそうでなかったと考えると、先ほども言いましたが、どうして日本人はこんなにも資本主義が好きなのかという疑問が浮かびますね。キリスト教も、イデアという考え方もなく、違う自然観をもっていた日本人が、24時間年中無休、翌日配送を可能にして、満員電車に乗り込んで、低賃金でもお客様は神様だと言って文句も言わずにひたすら働き続けている。

他方、ヨーロッパではストライキがしょっちゅう起きていますよね。フランスの例にしても、少しでも気にくわないことがあったら、こんなんで働いてられるかって抗議を表明するのが当たり前だと思われています。

とくに年金支給開始年齢の引き上げをめぐってあれだけのデモが起きているのは「俺らの人生を資本に売り渡す時間を、これ以上増やしてたまるか」っていう、そういう違和感をもっているからです、フランス人は。あのデモやストを日本人から見ると驚かれると思うんですよ。

日本人は、「副業をしましょう」とか「老人を労働力としてもっともっと活用していきましょう」みたいな趨勢に疑問をもつことすらない。最近では首相まで「育休の間にさらに資格を取りましょう」みたいなことを言い出した。

予測不能な子どもへの対応に目まぐるしくて休む暇などない育休の間にさえ、自分の資本としての価値を高めよう、人材価値を上げよう、こういう発想が普段の思考のなかに染みついていることの現われです。ヨーロッパ人から見ると信じられないことでしょう。

【佐伯】それはね、一つはヨーロッパのあの人間中心主義なのだと思いますね。労働はもともと奴隷のすることだった、しかしその面倒な仕事をわれわれがつまり労働者が請け負っている、と思っている。だから労働者にも「俺たちが本当は主人公だ」という感覚が染みついている。だから、自分の価値を正当に評価してくれ、ということになる。

一方で日本人なら「ストは行き過ぎだ、こんなことをしていたら批判に晒されてしまう」となる。年金支給が67 歳になったとしてもストはやらずに逆に働く人が多いでしょうね。逆説めくのですが、日本の自然観がそうさせるのだと思いますよ。

よくいわれるように、日本人は「あらゆるものは自ずとなっていく」という考え方を取りがちです。自ずと動いていく、と考えるのです。人間はそれに手を加えないというところがあって、それは日本人の自然観のいいところだけれど、同時に今日では完全に「他人まかせ」という形でマイナスに出ているといえなくもない。

今、世界がグローバリズムで競争をやっているじゃないか、だから日本もそれに付き合わないと仕方ないじゃないか。あとはなるようになる。アメリカと中国の思惑がどうあれ、どうせなるようにしかならないという話に落着します。だから、日本人は本質的な意味で、人間というものを考えてこなかったようにも思えますね。

それは、人間と自然との関係に起因するところが大きいように思う。「人間は自然のなかで生かされていればそれでいい」みたいな思いがどこかあって、それは日本人の特性でしょう。僕自身もそういうところがありますから、その心持ちも好きだけれど、こういう状況のなかでは逆の方向に作用してしまうのですね。

それにしても日本人の本来の自然観は一体どんなものだったのか。近代主義の影響で日本人の欲望が無限に拡張したとしても、地球を飛び出して火星まで行きたいなんて、そんな欲望は日本人にはなかっただろうと思いますし、古来の自然観とは相容れないものでしょう。

人生観にしても、まあ、70~80年くらい、それなりに過ごせばいいじゃないか、そのあと他人の細胞もらってきて若返りしてまで長生きするなんて、考えてこなかった。どうぞお構いなく、ですよ。

日本人のもっていた価値観、死生観、そういうものをうまい具合に近代主義と折衷することができれば、日本人も少し変わってくるでしょうね。日本から世界が変わってくる可能性もあると思う。

今、世界は混乱の極みですからね。このままでは、ヨーロッパ型の近代主義と資本主義体制に先はありません。下手すると、最終的にアメリカと中国の戦争になる。日本はもともとは関係ないはずですよ、そんなものに。マクロン仏大統領が「米中の対立はフランス、ひいてはEUに無関係だ」と看破した通りです。

ですから日本人が本来あるべき自然観、価値観をもういっぺん思い出して、われわれ日本人はまずは日本の持ち味でやっていく。そうすれば、日本人の思想を世界に発信することができるし、世界にも共鳴する人はいくらでもいるはずです。

 

“人新世”の時代の価値観とは

【斎藤】私の立場は左翼ですから、あまり声高に「日本的」と言うことは憚(はばか)られるところがありますが、佐伯先生がおっしゃったことは分かる、というか共鳴する部分も大きいのです。

やはり現状の世界は、先生がご説明なさったように、近代主義とか資本主義のような、いわゆるヨーロッパ的なモデル、また、民主主義のような価値観が、ある面で行き詰まりをみせています。このことは、グローバル化の現代、あるいはアントロポセン(人新世)の時代に明らかなわけで、このまま歴史が進んで問題が解決するだろうと思う人たちは、むしろどんどん減っているわけです。

にもかかわらず、それに代わる社会、代わる価値観、代わるビジョンを、もう誰も提唱できずにいる。というのも私たちは基本的に近代化が始まって以降、とくに日本では明治の初めからということになりますが、欧米的な価値観のもとで、どうやって生き残っていくかに腐心してきました。

それまでの日本のあり方を捨てて、どれほど近代化していくか、資本主義を進めていくかということに夢中になってきたわけですね。それが行き詰まっているからこそ、今私たちは新しい価値観を生み出さなくてはいけない。

私はマルクス研究者だから、そこにマルクスというヨーロッパ人がつくり出した思想を結局は再びもってくることになって、そのことでは佐伯先生のお小言を頂戴するわけです(笑)。物質代謝も自然観も全部ヨーロッパじゃないか、と。

確かにそうなのですが、でも少なくともマルクスは、資本主義という近代主義的なものを真正面から批判して、それに取って代わるような社会のビジョンとか価値観を、きわめて体系立った形で打ち出そうとした人です。だからこそ、今の世の中で刮目(かつもく)してほしい。

『ゼロからの「資本論」』でとくに掲げた「コミュニズム」という言葉は、確かに手垢もついていて、誤解も招きかねません。新しい価値観の話をするために、あまりイメージのよくない言葉をもう一度もち出してくることに対して、どうなのかと感じる方が少なからずいることも分かるのです。

しかし、私はあえて使いました。やっぱり資本主義とは違う価値観を出さなければいけないんだということを強調するために、この言葉が必要だと思うからです。

 

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