スポーツ界では「厳しい指導」が求められる風潮があるが、果たしてそれは正しいのか? 臨床心理士の村中直人氏と、元女子バレーボール日本代表の大山加奈氏による、スポーツに必要な「厳しさ」についての対話を『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介する。
※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。
【村中】いま、社会全体で「ハラスメントを防止しよう」「暴力や暴言はいけない」という流れが進んでいますが、スポーツ界にはまだまだ不適切な指導が横行しているように思われます。
日本スポーツ協会が設置した暴力パワハラ問題の窓口(「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」)への相談傾向を見ると、体罰などのはっきりした暴力は減っている一方、暴言や差別、無視、罰走などが増加しています。ある種、やり方が陰湿化しているとも言えますね。
問題視されながらも、スポーツにおける不適切な指導はなぜ一向になくならないのか。その背景に、「つらい思いをしないと強くなれない」という強固な思い込みがあるからではないかと私は思っています。ご自身の経験を振り返ってみて、大山さんはどう思われますか?
【大山】おっしゃる通りだと思います。私自身も、「勝つためには厳しい練習を積んで、苦しい思い、つらい思いをしなければいけないんだ」と思い込んでいました。いまはだいぶ考え方が変わりましたけど。
【村中】「苦しさに耐えることで強くなるんだ」とか「苦しさを乗り越えなくては成長できない」と思ってしまうことを、私は「苦痛神話」と呼んでいます。これってバイアス(思考や行動の偏り)なんですが、人間の心にけっこう根深く刷り込まれているんです。とくにスポーツの場合は、「厳しさ」と「苦痛」とが結びついてしまいやすい傾向がありませんか?
【大山】ありますね。大先輩である益子直美さんと対談させていただいたときに、益子さんも現役当時は「『厳しさ= 苦しみ』だと思っていた」とおっしゃっていました。
けれど、あるとき「強くなるのに、苦しみって本当に必要?」と思うようになったと。そこからいろいろ勉強されて、「理不尽に苦しみを与える指導が厳しい指導ではない」と考えるようになったことが、小学生を対象にした「監督が怒ってはいけない大会 益子直美カップ」を始めるきっかけになったそうなんです。
【村中】益子さんのあの取り組みはいいですよね。怒声を発する監督は、大きな×のついたマスクをつけられ、注意喚起される。怒鳴ったり叱ったりしてネガティブ感情を抱かせてやらせることが上達に必要な「厳しさ」なのかというと、それは絶対に違います。ところが、それを厳しい指導なのだと思ってしまっている人がとても多いように思うのです。
【大山】私もいろいろなところに出向いてバレーボール教室をやらせていただいていますが、指導する際、声を荒らげるようなことは一切しないんです。必要ないと思っているので。すると、指導者の方から「もっと厳しくやってください」と言われてしまうことがあります。けっして甘いこと、ラクなことをしているわけではないんですが、雰囲気が和やかで子どもたちが楽しそうにやっていると、厳しくないと思われがちです。
【村中】怖がらせたり苦しませたりしなくても、要求水準を高く保ってレベルの高い指導をすることはできますからね。
【大山】そうなんです。ちょっと難しめの課題を出してチャレンジしてもらうと、みんな「できるようになりたい」とすごい集中力で真剣に練習します。うまくなるためには、そういう状態に入ること、そういう環境こそが大事だと思うんですけどね。
【村中】怒鳴ったり叱ったりきついことを強要したりして「苦しい状況に追い込む」ことと、「厳しさ」とを切り分けて捉えることは、不適切指導からの脱却のために大事なヒントですよね。本当の厳しさとは何なのか――この認識がもっときちんと広まると、スポーツ指導だけでなく、教育の現場、家庭での子育て、会社で部下を育てるときなど、この国のいろんな問題が変わっていくのではないかと私は思っています。
【大山】私もそう思いますね。
【村中】日本のスポーツ指導における最大の問題点は、やっぱり指導者と選手との間に強い支配関係、権力関係があることだと思うんです。権力構造を一気になくすことは難しくても、仕組みを工夫することで「権力勾配をゆるやかにしていく」ことはできます。たとえば、監督やコーチは試合会場に入れません、というルールを設ける、というようなことです。
【大山】ラグビーってそうですよね、試合のときに監督がベンチに入れない。あれ、すごくいいルールだなと思うんですよ。
【村中】そういえばそうですね。ラグビーの監督はベンチに入らず、スタンドにいますね。
【大山】ビーチバレーも、監督やコーチはベンチに入れないというルールがあります。
【村中】そんなふうに、試合中に指導者は口出しできない仕組みになっていれば、どう戦ったらいいかを選手たちが自分で考えなければいけなくなります。そうなると、指導の仕方も「言ったことをやらせる」ことから、「自分で考える」やり方へと変わらざるを得なくなりますね。
【大山】すべてのスポーツはそうすべきなんじゃないかと思いますね。それから、指導者が、勝つこと以外の基準で評価されるような仕組みというのもあるといいですよね。
【村中】ああ、いいですね。子どもたちを冒険モードにしながら、「え~、今日練習ないの? つまんない。やりたかったのに」と子どもたちに言われながら育成しているような人が、経済的にも社会的にもプラスのフィードバックが受けられるような仕組みがあると、そういう指導にもっと意識が向きやすくなると思います。
特定の人間に権力が集中してしまうのを避ける方法として、3、4チームぐらいの間でコーチが順繰りで交代するような取り組みがあってもいいかもしれないですね。全国大会制覇を目指すようなチームでは難しいでしょうけど、楽しむためのスポーツ指導だったらあり得るんじゃないですかね。
それこそ、公立中学校の部活動の外部委託が始まりましたが、そういう場であれば可能でしょう。指導者が1、2か月単位ぐらいで交代して、「あのコーチのときは楽しくできた」とか「あのコーチのおかげで、苦手だったスポーツが好きになれた」と子どもたちが言えるような感じになると、指導のあり方にもっと変化が出てくる気がします。
【大山】スポーツ指導の場で、子どもたちと接する大人が増えるのはとてもいいことですね。子どもたちの世界ってすごく狭くて、担任の先生にしても、部活の顧問にしてもそうですが、日常的に深く関わっている大人が、絶対的な存在になりやすいんです。そういう意味でも、いろいろな大人と接する機会を得られることって大事だと思います。
あとは、指導者が自分の経験則にとらわれないことも大切です。そのときどきで「いい」といわれているやり方を学びつづけて、アップデートしていかなければいけないですよね。
【村中】たしかに、実績と経験のある指導者ほど、「自分はこのやり方で強い選手を育ててきたんだ」と過去のやり方に固執してしまいやすいかもしれません。
【大山】私は子どもたちと接する活動を始めるようになったときに、まずはいまの指導法についてしっかり学ばなくてはと思って勉強し、日本スポーツ協会公認指導者資格バレーボールコーチ3、NESTAキッズコーディネーショントレーナーといった資格を取りました。
ハラスメント問題など、社会的に強く求められるようになっている知識もありますし、科学の進歩によって効果があること、ないことなども新しいことがわかってきて、指導の常識もどんどん変わっています。学びを止めない柔軟な姿勢が必要だと、つねに自分に言い聞かせています。
【村中】学びつづけようとすることが、リテラシーを高めることにつながりますからね。
【大山】それと、これは指導者だけでなく保護者の方にもお願いしたいことですが、子どもが本格的にスポーツをやることになったときに、そのスポーツだけにすべての時間を注ぐのではなく、家族や友人と一緒に過ごすとか、勉強とか、趣味など他の好きなことをやる、といった時間をきちんとつくってあげてほしいんです。
そうすることで、ケガや故障をはじめ精神的に追い詰められるようなつらいことが起きたときにも、「これだけが人生のすべてじゃないんだ」と思うことができて、バーンアウトしてしまうことの歯止めになると思うからです。
【村中】まったくもって同感です。
更新:11月21日 00:05