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ウェルビーイングと「弱い結びつき」の力

2023年12月06日 公開

入山章栄(早稲田大学教授)

入山章栄

近年、企業経営の観点から話題を集めている「ウェルビーイング」。なぜ企業は、ウェルビーイングに注目しているのか。ウェルビーイングがもたらす利点とは、はたして何なのか。日本の経営学の第一人者に聞いた(聞き手:編集部)。

※本稿は『Voice』2023年12⽉号より抜粋・編集したものです。

 

幸せ+健康

――近年、企業経営のテーマとして「ウェルビーイング」が話題となっています。そもそもこの言葉、どういう意味なのでしょう。

【入山】ウェルビーイングという概念にはさまざまな解釈、定義があります。直訳風にいえば「よりよく生きること」ですが、端的にいって「幸せ+健康」のことである、と私は考えています。

よりよく生きるには、心も身体も健康でなければなりません。「心の健康」と「身体の健康」の両者が満たされていることが幸せであり、ウェルビーイングの状態である、といえます。

以前、日立製作所フェローの矢野和男さんにお話を聞いて「なるほど」と思ったのは、人類が究極的に求めるのは「幸せ」と「不老不死」の二つである、と。しかし「不老不死」は、現在の生命科学では達成できない。したがって、次善の目標として「幸せ」と「健康長寿」が浮上することになります。

健康寿命が長ければ人間、幸せであると考えられますから、私たちに共通する要素として「幸せ+健康」すなわちウェルビーイングが追求されているのです。

――では、なぜ企業がウェルビーイングに注目するようになったのでしょうか。

【入山】一つ目の理由は、現在のように不確実性の高い時代において「パーパス経営」が求められるようになったこと。企業には「われわれの会社は何をめざすのか」「わが社は何のために存在するのか」というパーパス(目的)が不可欠です。

ところが往々にして、会社の規模が拡大すると商材も事業分野も多岐にわたるようになり、目的を絞りすぎると、すべての事業領域を包摂できなくなってしまう。したがって、企業の理念やビジョンの抽象度を上げていかざるをえません。すると結果として、人類の究極の目的である「幸せ+健康」、つまりウェルビーイングに帰着するわけです。

たとえば、ソフトバンクグループの経営理念は「情報革命で人々を幸せに」です。ネスレのパーパスには「食の持つ力で、現在そしてこれからの世代のすべての人々の生活の質を高めていきます」と記されており、味の素のグループビジョンには「グローバル健康貢献企業グループ」とあります。企業の理念やビジョンを抽象化すると、行き着く先はいずれも「幸せ+健康」であることがわかります。

二つ目の理由は、周知のようにいまは人手不足で雇用の流動化が激しく、人材確保が企業の重要な課題になっていること。従業員に投資を行なって価値を高める「人的資本経営」の考え方からすれば、社員が「不幸+病気」であれば長期的な貢献が見込めず、会社のパフォーマンスが上がりません。

三つ目の理由として、近年のSDGs(持続可能な開発目標)やソーシャルビジネス(社会課題を解決するビジネス)の流行が背景としてあります。しかし、企業にとって本質的な理由は一つ目と二つ目がより大きい、と思われます。

 

インフォーマルな場の重要性

――たしかに、従業員が健康でなければ労働生産性も上がりませんからね。

【入山】たとえば、健康経営を推進するロート製薬の業績はいま絶好調です。面白いのは「ARUCO(アルコ)」という社内コインを導入していて、歩数に応じて仮想通貨がもらえるんですよ(笑)。

――お酒やたばこを控えるように指導を行なう半面、従来の居酒屋や喫煙室でのコミュニケーションが組織に果たしてきた役割も少なくない、と思うのですが。

【入山】おっしゃるとおりです。たとえばたばこ部屋のようなインフォーマルな空間、立場の異なる人が偶然、集まる場所で得られるのは「他の部署の誰が、どんな情報を知っているのか」です。英語でいえば「Who knows what?」、経営・社会心理学でトランザクティブ・メモリーと呼ばれる個人、組織にとって貴重な「深い知識」です。

いまはインターネットを通じて世界中どこでも情報が手に入る、と考える人が多いのですが、本当にビジネスに必要な深い知識やインフォーマルな情報は、ネットソースではなく対面のコミュニケーションでしか手に入らないことが多い。フェース・トゥー・フェースで得られる「人に根付いた」情報を求めて人びとが一定の場に集うことで、新しいコミュニティやネットワークが生まれるのです。

――そのための「場」が喫煙室であり、居酒屋である、ということですね。

【入山】異なる部署の人が集まり、対面で情報交換する場の典型が、まさにたばこ部屋でした。あるいは、たまに催される部署の垣根を越えた飲み会。インフォーマルな場所での交流があり、トランザクティブ・メモリー・システムが機能しているのがクリエイティブな組織だといえるでしょう。

私が教える早稲田大学ビジネススクールの隠れた「売り」も、じつは講義・ゼミ後の飲み会にあります(笑)。企業から派遣された社会人も含めて日中、学校にいるだけでは交流できない人たちと夜にお酒を酌み交わすことで、深い知識や人脈を得ることができます。

――しかし近年は会社の飲み会も減ってしまい、喫煙室を設けないという企業も増えています。どうすればよいのでしょうか。

【入山】私の知っているある会社は「自部門ではなく、他部門との飲み会であれば補助金を出す」という仕組みがあります。もちろんお酒やたばこには健康リスクがあるけれども、円滑なコミュニケーションにはつながるし、他人に迷惑を掛けないというレベルでの程度論だと思います。

たばこ部屋や飲み会が減っているのであれば、それに代わる場所や仕組みをオフィスに組み込んでいけばよい。たとえば、社員食堂です。グーグルの社食はカフェテリアかレストランと見まがうような立派なもので、異なる部署の人が「おっ、久々!」「最近どうしてんの?」などと対面のコミュニケーションを行なう場になっている。私にいわせれば、企業がゴージャスな社食に力を入れるのはたばこ部屋の代わりなんです。

お酒やたばこが駄目なら、会社のクラブ活動でもよい。リクルートが典型ですが、「部活のある企業は業績がよい」というのは経営学から見ても確かな傾向です。

 

クリエイティビティを促す「弱い結びつき」

――なるほど。一見、無駄に映る要素も業績と結びついている、ということですね。

【入山】さらに興味深いのは、人間のネットワークは「弱い結びつき」のほうが、強い結びつきより情報伝達が効率的という事実です。

――えっ?

【入山】この点を明らかにしたのが、スタンフォード大学教授のマーク・グラノヴェッターの研究です。論文のタイトルは「The Strength of Weak Ties」。文字どおり「弱い結びつき」の強さ、という意味です。

グラノヴェッターが行なったのは、若者の就職活動に関する調査です。たとえば若者を対象に「就職先を得るうえで、本当に役立つ情報を教えてくれたのは誰か」を尋ねたところ、意外にも友人や親など「強い結びつき」の関係者ではなく、普段はたまにしか会わない「ちょっとした知り合い」からの情報がより役に立った、という。

弱い結びつきは、強い結びつきよりも簡単につくれます。ある人と親友になるのは難しいけれど、名刺交換をしてとりあえず知り合いになるのは簡単です。つまり、弱い結びつきは強い結びつきよりも多くの人に、遠くまでネットワークが伸びやすい、ということです。

――弱い結びつきを通じたネットワーク、コミュニティの形成は当然、国内に留まりませんね。

【入山】私は今夏、フランスのトゥールーズへ行ってきました。トゥールーズは現在、宇宙ベンチャーのメッカとなっている場所です。私が出会った人はアフリカ系のフランス育ちで、シンガポールで宇宙ベンチャーを手掛けていましたが、会社ごとトゥールーズに移住してきました。

そもそも、私がトゥールーズに行くことになったきっかけも「弱い結びつき」によるものでした。亡くなられたソニーの出井伸之さんから頼まれて勉強会で講演をしたのち、ワープスペース(小型衛星を使い、宇宙空間での光即応通信サービスをめざす企業)を立ち上げた常間地悟さんからコンタクトがありました。

彼と雑談をしているうちに、南仏で人類初となる核融合実験炉の超大型国際プロジェクト「ITER(イーター)」の話になり、ITER首席戦略官を務める大前敬祥さんと仲良くなりました。それで、南仏を訪れるついでにトゥールーズに立ち寄ることになったわけです。

ちなみに、大前さんはユーグレナの出雲充代表取締役とも知り合いで、出雲さんは私の友人。先日、出雲さんとお酒を飲んでいるときも「今度、フランスに行くらしいじゃない」という話になりました。さらに出雲さんは堀江貴文さんとも親しく、堀江さんもトゥールーズを訪れています。

 

会ったことのない人と会う

――まさに数珠つなぎで弱いネットワークが拡大している。

【入山】このように、少しの接点から「弱い結びつき」が生まれ、世界中から面白い人たちが集まり、現地で見知らぬ人とメールを交換するようなビジネスの芽が生まれるわけです。

私の好きな言葉に、「発想力は移動距離に比例する」(ゴーゴーカレーの創業者・宮森宏和さんによる)があります。たしかに周囲のイノベーターと呼ばれる人たちを見ると、本当によく移動しています。

行ったことのない遠くの現場へ赴き、見たことのないものを見て、会ったことのない人と会う。組織に変化を起こし、ビジネスで結果を出すには、いろんなところに顔を出して情報を得るとともに、インフォーマルな雑談や困り事の相談ができる「弱い結びつき」をあちこちにつくっておくことが有効です。

 

「知の探索」がイノベーションを生む

――とはいえ、サラリーマンのように組織に属する社員はそう簡単に、自由に移動できないのも事実です。

【入山】たしかに健康経営やウェルビーイングが話題にならなかった時代には、従業員の多くが会社のオフィスと労働時間に縛られていました。

そうした状況下で日本のメーカーの研究開発を支えていたのは、たとえば就業時間外の「ヤミ研」です。正規の業務後、インフォーマルな夜の時間で社員たちが密かに進めた研究が、デジタルカメラのような大ヒット商品を生み出したことが知られています。
「ヤミ研」が大きな成果をもたらした理由は、企業における「知の探索」と「知の深化」の関係から説明できます。

「知の探索」とは、企業が新しい技術や知識を見つけるための活動です。「知の深化」は、企業がすでに得た技術や知識を活用すること。デジタルカメラの研究は、明らかに「知の探索」に属するものでした。成功体験に縛られて「知の深化」に陥りがちな会社組織でオープン・イノベーションを実現するには、インフォーマルな「遊びの時間」が不可欠です。

本業とまったく関係のない勉強や研究、副業を認めることが大事で、やみくもに出社させて時間を拘束するのではなく、本業外の活動を認めることが、企業にとっての「知の探索」につながります。時間と心に余裕がなければ、新しい知見や発想は生まれません。私も極力、空き時間をつくって専門外の現場を回る「社会科見学」を実践しています。

現在の日本企業では「ヤミ研」はコンプライアンス上、不可能です。そこで力を発揮するのが、リモートやChatGPTなどのデジタル化。多くの時間を要する「つらい仕事」はITとAIに任せ、「知の探索」の時間や移動時間を捻出する。片道1時間の通勤であれば往復2時間を1日に費やしているわけで、週のうち3日を在宅勤務にすれば、それだけで6時間を有効に活用できます。あるいはインフォーマルな場に集まって他部署や異業種の人たちと会い、イノベーションの道を模索する。健康経営やウェルビーイングがもたらす最も有意義な利点だと思います。

 

セルフリーダーシップの時代

――たばこ休憩や社外のインフォーマルな活動を監視するような会社や、社員の好きなことや自発性を一律に禁じるような会社には、イノベーションは起こりえない。

【入山】重要なのは、社員の自由な行動をある程度認めて、アウトプットで評価する人事制度です。労働時間で貢献度を測る評価には意味はないし、目の前の数字だけを成果として捉えず、空き時間の「知の探索」が社員を成長させ、各人がインフォーマルな場所で得た情報や知見が、やがて会社にプラスに働くことを考慮すべきでしょう。

――本人に自主性がなければ、上からいくら命令しても動かないものですからね。

【入山】そう。ウェルビーイングの第一人者である石川善樹さん(予防医学者)は、ウェルビーイングの度合いが高い人は「セルフリーダーシップ」の度合いが高い、と語っています。セルフリーダーというのは、他人ではなく、自分を導ける人のこと。言い換えれば、自らを「幸せ+健康」の状態にもっていける人のことです。

いまの時代に求められるのは、取りも直さず「自立」です。働く人たちが「自分は何をすれば幸せなのか」を考え、自ら立てた理想やゴールに向かって行動できること。健康経営やウェルビーイングの目的は、じつは「健康」それ自体にはない。各人が自らの幸せを考え、終身雇用や給料の多寡ではなく「自分と価値観や理念が合うので、この会社で働いているんだ」と思えるような状態をつくることが、健康経営やウェルビーイングの本質なんです。

 

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