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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第19回 ニコラス・ティンバーゲン(1973年ノーベル医学・生理学賞)

2023年08月01日 公開
2023年08月03日 更新

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

コンラート・ローレンツ

コンラート・ローレンツ
コンラート・ローレンツ(1973年)

その後のティンバーゲンに大きな影響を与えるコンラート・ローレンツは、1903年11月7日にオーストリアのウィーンで生まれているから、ティンバーゲンよりも4歳近く年上ということになる。

ローレンツはウィーン大学医学部を卒業して医学博士号を取得後、「動物への異様な愛情」を満たすために再びウィーン大学で動物学を学び、動物学博士号も取得した人物である。

彼の研究で最も知られるのは「刷り込み」である。一般に「刷り込み」とは、短時間に与えられた特定の記憶が長時間にわたって個体に影響を与える一定の「学習」を指し、さまざまな動物の行動に観察されている。

ローレンツは、ハイイロガンの卵をガチョウに孵化(ふか)させたところ、生まれてきたヒナがガチョウの後をついて歩き、その後もガチョウを母鳥と認識し続けることに気付いた。

さらに驚いたことに、ローレンツが人工孵化させた卵から生まれたハイイロガンのヒナは、ローレンツを母鳥だと思い込んで後を追いかけるようになった。そこで彼は、ヒナを抱いて寝て、一緒に散歩させて、池で泳ぎを覚えさせなければならなかった。

つまり、ハイイロガンのヒナは、卵から生まれて最初に見た動く対象を親鳥として瞬間的に認識する。だから、ヒナは、最初にガチョウを見ればガチョウを追いかけ、人間を見れば人間を追いかけるわけである。

この仕組みは、あたかもハイイロガンの脳内に親鳥が一瞬でプリントされたように思えたので、ローレンツはこれを「刷り込み」(インプリント)と名付けた。

鳥類の場合、ヒナの時点で同じ種類のトリの中で育たなければ、大部分のトリは、自分がどの種族に属しているのかさえ判断できなくなる。

たとえば、ニワトリに育てられたガチョウのヒナは、成長してからもガチョウではなくニワトリに求愛行動するようになる。セキセイインコが、生まれて最初に見たセルロイドのボールに求愛行動するようになった事例も観察されている。

だから動物園の飼育係は、自分が求愛行動されないように、トリの形をした手袋を嵌めて人工孵化しているわけである。

もっと興味深い例をローレンツが指摘している。ある年の冬、強い寒気をもたらす前線が停滞して気温が下がり、ウィーンのシェーンブルン動物園のシロクジャクが全滅の危機に瀕したことがあった。

そこで最後に残った一羽のオスのヒナを動物園中で一番暖かい部屋で育てることにしたが、それが第一次大戦直後の物資の不足した動物園では、ゾウガメの部屋だった。

そのシロクジャクは無事に成長したが、生涯にわたって他のメスのシロクジャクには目もくれず、巨大なゾウガメに向かって美しい飾り羽を扇状に開いて求愛を続けたのである。

ローレンツは、どんな動物とも会話のできる伝説のソロモン王の魔法の指輪に憧れて、『ソロモンの指輪』という自伝を書いている。

彼は、幼い頃から「動物への異様な愛情」を抱き、次から次へといろいろな種類の動物を家に持ち込んだが、彼の両親は一度も叱ったりせず、黙って見守ってくれた。父親はウィーン大学医学部の教授であり、子供が生物に関心を持つことに「驚くほど寛容」だったという。

ローレンツが結婚する頃には、彼の家は動物園のようになっていた。庭ではオウムやワタリガラスが飛び回り、家の中には「ローレンツ・アクアリウム」と呼ばれる巨大な水槽があって、さまざまな魚類や甲殻類が別世界を形成し、オマキザルやマングースキツネザルが部屋の中に棲息していた。

ローレンツの妻は、生まれてきた娘を放し飼いの危険な動物たちから守るために、巨大な檻に入れて庭に置いたという有名な逸話もある。動物ではなく、人間の方を檻に入れたというわけである。その檻に入れられて育った娘も、後に立派な動物行動学者になっている。

ある日、ローレンツが出かけている間に、グロリアという名前のメスのズキンオマキザルが、大騒動を引き起こしたことがあった。グロリアは、書斎の書棚の鍵の保管場所を探し当てて、小さな鍵を鍵穴に差し込んで扉を開き、ローレンツが大切にしていた高価な医学書2冊をズタズタに引き裂いて、水槽のイソギンチャクの上にバラバラに撒き散らした。

このイタズラに対して、ローレンツは怒るどころか、これほど綿密な計画性に基づいたグロリアの行動は「賞賛に値する」と褒めている。その後に「いささか高くついたが」と述べてはいるが…。ともかく、彼の動物への愛情は、何があっても止まることがなかった。

 

ティンバーゲンとローレンツ

1936年、ライデン大学のクラウ教授は、「生物の本能」に関するシンポジウムを開催し、ウィーン大学のローレンツを招いた。そこで初めて出会ったティンバーゲンとローレンツは、意気投合して、夜中まで語り合った。

ここで興味深いのは、2人の天才の性格がかなり異なっている点である。

ティンバーゲンは、自然を愛してはいたが、あくまで「観察者」であり、動物や昆虫の行動を分析し、あるいはその行動を忍耐強くさまざまな実験によって確かめようとした。とくに興味深いのは、彼が生涯一度も、家庭ではペットを飼わなかったという事実である。

一方、ローレンツは数えきれないほどの動物を家で育て、動物とコミュニケーションを取り、直観的に「動物のモラル」を感じ取っていた。彼にとって、個々の動物は名前を付けた「家族」であり、その動物が亡くなると感傷的になって泣くこともあった。彼は「観察者」ではなく「体験者」だったわけである。

それでも2人の天才が意気投合したのは、どちらも「生きた自然」の中を「歩きながら不思議に思う」ことが好きで、死んだ生物を解剖して分析するような生物学を嫌悪していたからだった。その後、2人は、生涯の親友となった。

クラウ教授の推薦によって、ティンバーゲンは1937年の春学期にウィーン大学で研究することができた。彼は、ローレンツと一緒にガチョウを観察し、ガチョウがどのように見失った自分の卵を回収するか、いかにして空から飛び込んでくる捕食者を認識するか、生態を明らかにした。

また、帰国時にはドイツのミュンヘン大学に寄って、フォン・フリッツ教授に会うこともできた。

1940年5月、オランダはナチス・ドイツに占領された。オランダのユダヤ人は解雇され、強制収容所に送られた。1941年、ライデン大学の教職員の多くは、ユダヤ人同僚が不当な扱いを受けたことに抗議して、大学を辞職した。

1942年、オランダ全土の大学教授やマスコミ関係者をはじめとする知識人は、オランダ南部シント・ミヒエルスゲステルの聖職者養成学校に拘留された。

ナチス・ドイツは、オランダの地下組織によるゲリラ行為が発覚すると、その都度、報復として知識人を一人選んでは殺害した。しかも、見せしめにするため、首を吊った死体を皆に見せつけた。結果的に、ティンバーゲンが拘留された収容所では、20人が殺された。彼は2年間、いつ自分が選ばれるかわからない恐怖に脅え続けたのである。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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