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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第16回 ウィリアム・ショックレー(1956年ノーベル物理学賞)

2023年05月02日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

ベル研究所と第2次世界大戦

1876年3月3日、発明家のグラハム・ベルは、アメリカ合衆国特許商標庁から「声などの音に伴う空気の振動の波形に似せた電気の波を起こすことによって、声などの音を電信で伝送する手段および機構」の特許を認可された。

これが人類史上初の「電話」の特許であり、「歴史上、最も価値のある特許」と呼ばれるほどに、莫大な収益を生み出すことになる。

ベルが3月10日に行った実験は、隣の部屋にいた助手のトーマス・ワトソンに電話で「ワトソン君、ちょっと用事があるから、こちらの部屋に来てくれたまえ」と伝えたもので、大成功だった。

その後、ベルは電話線を延長して、6㎞離れた場所に設置した電話機を使って会話を交わし、集めた見物人たちを仰天させた。

翌年の1877年7月1日、ベルは「ベル電話会社」を設立した。瞬く間にアメリカ中に長距離電話線が張り巡らされ、あらゆる場所に電話機が設置されるようになった。この会社が発展して、現在のAT&T(American Telephone & Telegraph Company)となったわけである。

1925年、AT&T社長ウォルター・グリフォードが「ベル研究所」を設立した。莫大な研究費で最先端の電信電話に関する情報理論から電波望遠鏡に至るまで、あらゆる革新的技術を研究することが目的である。

ベル研究所には、多くの優秀な人材が集まり、物理学者クリントン・デイヴィソンは、1937年に「ニッケル結晶による電子線の回折」を確認したことによりノーベル物理学賞を受賞した。ショックレーは、この年にベル研究所に入所し、デイヴィソンの物性物理学研究チームに入っている。

ショックレーは、研究を開始した翌年の1938年、「電子増倍管」に関する特許を取得した。その後も彼は多種多彩なアイディアを発明して、生涯に90近くの特許を取得していくことになる。

第2次世界大戦が勃発すると、ショックレーはコロンビア大学に招集されてレーダー研究に従事し、対潜水艦戦略では、最も効率的に機雷を投下するためのアルゴリズムを生み出した。ショックレーのアルゴリズムのおかげで、アメリカ海軍によるドイツのUボート撃沈率は7倍に跳ね上がったという。

1944年には、高度から目標に向けて高い精度で爆弾を投下するためのシステムを構築した。さらに、そのシステムを組み込んだレーダー爆撃照準器の操作方法をB-29爆撃機のパイロットに教育するためのプログラムを生み出し、空軍の高官たちを大いに喜ばせた。

ショックレーがアメリカの軍部に高く評価されたのは、もちろんその抜群の能力が理由だろうが、陸軍幼年士官学校に通っていた経歴の影響も考えらえる。彼がピストルの愛好家であり、権威的な気質を持っていることも、軍人たちに歓迎された理由の1つだったかもしれない。

1945年7月、合衆国の戦争省は、陸海空軍で評判の高いショックレーに対して、日本の本土上陸作戦を行った場合のシミュレーションを提出するように求めた。

ショックレーの結論は、「これまでの日本の歴史的な国家観と戦術に対する分析が正しければ、日本の本土上陸作戦を行った場合、日本は敗戦を認めるまでにドイツ以上の死傷者を出すだろう。我々は500万~1000万人の日本人を死傷させる必要があり、我々も170万~400万人の死傷者を覚悟しなければならない」というものだった。

この報告は、トルーマン大統領が日本への本土上陸作戦を原爆投下に切り替えた理由の1つだと言われている。戦時中の数々の功績により、ショックレーは、1946年10月、民間人に与えられる最高の「功労章」を授与された。

 

トランジスタの発明とノーベル賞受賞

第2次世界大戦終戦後、ベル研究所に戻ったショックレーは、トランジスタ開発部門のリーダーとなった。「トランジスタ」は、真空管と同じように電気信号を増幅し、回路をオン・オフにするスイッチ機能を備えているが、真空管よりも小さくて発熱が少なく、速くて安定性が高く、しかも安いという圧倒的な利点がある。

1947年12月、ショックレーの部下だったジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンが「点接触型トランジスタ」を完成させた。

この時期が、後にマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツに「もしタイム・スリップできるとしたら、最初に出掛けるのは1947年12月のベル研究所だ」と言わしめた「奇跡の月」である。ベル研究所は、バーディーンとブラッテンを発明者とする特許を申請した。

この件で怒り心頭に発したのが、リーダーのショックレーである。そもそも2人が「点接触型トランジスタ」を完成できたのは、ショックレーから半導体の熱伝導に関するアドバイスを貰ったおかげだが、彼の名前は特許申請に触れられていなかったからである。

ショックレーは、クリスマス休暇にベル研究所のあるニュージャージー州から遠く離れたイリノイ州シカゴのビスマルク・ホテルに3日間籠って、バーディーンとブラッテンの発明を乗り越えるためにはどうすべきか、徹底的に考え続けた。

そこで彼が到達したのが「接合型トランジスタ」の概念である。

これはプラスの性質を持つP型半導体とマイナスの性質を持つN型半導体を接合させた構造で、「NPN」や「PNP」のように、特定の半導体を反対極の半導体が挟み込む構造になっている。ショックレーは、彼の発明を「サンドウィッチ・トランジスタ」と呼んで、歓喜した。

ショックレーの「接合型トランジスタ」は、製造方法からしても利用方法からしても、圧倒的に「点接触型トランジスタ」より優れている。

彼は「私の発明したトランジスタは、コンピュータの理想的な神経単位として用いられるだろう」と述べたが、まさにその予想通りとなり、彼のトランジスタは、20世紀後半の電子機器すべてに応用されて、世界に革命を起こした。

ところが、ショックレーは再び怒り心頭に発することになった。というのは、ショックレーの「接合型トランジスタ」は、1948年6月にショックレーの名前で特許申請されると同時にベル研究所から大々的に公表されたにもかかわらず、ベル研究所の研究員は特許による収益を受け取れない雇用契約になっていたからである。

1950年代になると、シリコンを用いたショックレー発明の「接合型トランジスタ」が数百万個単位で製造されるようになり、ベル研究所には莫大な特許料による収益をもたらしたが、ショックレーには何の対価も支払われなかった。

一方、トランジスタが世界中に与えた影響を高く評価したノーベル賞委員会は、異例の審査スピードで、ショックレーとバーディーンとブラッテンの3人に「点接触型トランジスタの発明と改良」により、1956年度のノーベル物理学賞を授賞した。

しかし、ショックレーの「執拗なイジメ」に耐え切れなかった部下のバーディーンは、1951年にベル研究所を退所してイリノイ大学教授に就任している。

彼は、その後「超伝導」の研究を進め、1972年にその業績によりノーベル物理学賞を受賞した。現時点でバーディーンは、ノーベル物理学賞を2つ受賞した唯一の人物として知られる。

もう1人の部下だったブラッテンも、ショックレーの下で研究するのは無理だとベル研究所内で転属している。ノーベル賞授賞式の晩餐会で並んだ3人は、お互いに一言も口を利かなかったという。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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