僕と石原さんの実質的な付き合いは15年足らずですから、交流の年数が特段長かったわけではありません。もっと付き合いが長く、関係が濃い方はたくさんいらっしゃるでしょう。ですから、こうして『Voice』誌上に追悼文を寄せるのもおこがましい気がしています。
そのうえで、あえて石原さんと「やり残したこと」を挙げるならば、一緒にヨットに乗れなかったことは残念でなりません。僕はヨット好きの辛坊治郎さんに誘われたこともあり、一級船舶の免許を取得しているんです。
一方の石原さんは広く知られるように、日本セーリング連盟の前身である日本外洋帆走協会(NORC)の会長を務められた、筋金入りのヨット愛好家。実際に石原さんから何度も「一緒にヨットに乗ろう」と誘われていたのですが、タイミングが合わず実現できなかったのは心残りです。
そして願わくは、また座敷で寝そべってお酒を飲みながら、いろいろな話をしたかった。昨年末にお目にかかった際には「来年は文明論の話でもしよう」と口にされていたのですが、それも叶いませんでした。博覧強記で何事にも好奇心をもつ石原さんと文明論の話なんてし始めたら、どれだけ長丁場になったことか。
それでも僕は、つねに時代の先を進もうとする石原さんの文明論を何時間でも聴きたかったし、また熱い議論をしたかった。「時代と同じところにいたら、作家なんかやっていられねえよ。時代の先にいかないと」。そう語るあふれんばかりのエネルギーには、いつも唸らされるばかりでした。
石原さんは僕にとって、「人生の教科書」のような存在です。作家として、政治家として、そして一人の人間として、これほど面白い人生を歩まれた方はいないでしょう。
亡くなったあとのご家族の会見では、息子(次男)の良純さんが「(父は)家庭人としてはかなりユニークな人」と表現されていたのが印象的でした。この「ユニーク」はプラス面というよりは、もしかしたらご家族にしかわからないマイナス面も含んでいたのかもしれません。もちろん、人間は完璧ではありません。石原さんにもマイナスの側面はあったはずです。
それでも僕は、40歳ほど年下の僕のことを可愛がってくれて、つねに新しい物事に関心をもち、日本のために本気で汗を流す石原さんを心から尊敬し続けています。
これまでのお付き合い、本当にありがとうございました。
更新:11月21日 00:05