2021年04月26日 公開
2022年10月06日 更新
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による日本の「経済民主化」は、増税をはじめ今日まで続く緊縮財政策の起源の一つ、すなわち「経済弱体化」だった。日本を脆弱化、衰退化させる経済思想を、占領期のGHQとの関係から再考察する。
※本稿は、田中秀臣『脱GHQ史観の経済学』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
GHQの「経済民主化」の中身は、戦前の経済的な既得権を解体することが最優先されただけだった。
なぜなら経済の効率性を高めるには、価格メカニズムが機能しなければならない。
しかし当時、GHQの経済科学局、そして日本側の経済政策の担い手であった経済安定本部の経済思想は、統制経済が中心だった。
食料・燃料はもちろんさまざまな消費財、生産財に公定価格がつけられていた。鉄鋼などの基礎的な資材の公定価格は低く設定されていたので、生産する企業に赤字がでれば政府はそれを補塡した。価格メカニズムが機能する余地はない。
例えば農地改革をみてみよう。ポイントは、この改革があくまで「農地」所有の在り方の改革であって、「農業」の生産性を上昇させるものではなかったことだ。
地主の農地保有に制限を設け、制限以上の農地に対して低い価格を政府が設定し売却されたのが、農地改革だった。
農地改革によって、安く農地を保有することができた自作農が大幅に増えた。
だが、他方で自作農の増加がそのまま生産のインセンティブをもたらしたとはいえない。
当時は、海外植民地を喪失し、米や農産物の輸入はできなかった。食料事情が逼迫する中で、GHQに食料の援助を依頼しても、その見返りは農業者への厳しい米を中心とした強制的な供出であった。供出の目標額を達成しなければ、GHQの食料支援を受けられないとされた。
価格も公定され、生産の自由も失われた状況では、農業者の生産に対するインセンティブは阻害されたであろう。その結果、米などの食料生産が順調に回復できたか疑問である。
更新:11月14日 00:05