2021年04月21日 公開
2022年10月06日 更新
写真:吉田和本
新型コロナ禍でエンタメ事業が苦境に陥るなか、国産放送局であるWOWOWはいかなるコンテンツを視聴者に届けるのか。日本のスポーツ中継の立役者であり、WOWOWのコンテンツを率いる田中社長が語る危機感と覚悟を語る。
本稿ではコロナ禍の今こそエンタメが求められている理由、そしてそのためにWOWOWが担っている役割について伺った一説を紹介する。(聞き手:Voice編集部・中西史也)
※本稿は『Voice』2021年4⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。
――新型コロナ禍により、エンターテインメント業界は深刻な打撃を受けています。エンタメを放送で視聴者に届けるWOWOWが果たすべき役割については、いかがお考えですか。
【田中】我々は、影響を大きく受けているエンタメ事業者とともに作品を制作・放送し続けています。演劇人やミュージシャンを支援する側面もありますが、それ以上に、一緒にエンタメの役割を果たしていきたい思いが強い。
どんな困難に見舞われようとも、役者であればまず「演じたい」衝動に駆られるでしょうし、歌手は「歌いたい」という気持ちが第一のはずです。現場に携わるスタッフをサポートしたうえで、彼らの情熱をお客さんに届けることこそが、我々の役割です。
昨年7月からは、演劇人とタッグを組んだオリジナル番組『劇場の灯を消すな!』を放送しています。これまでのリアルな演劇は、その世界観は舞台空間で完結しており、放送局はその放送権を買って流すしかありませんでした。
ただ今回は逆の発想で、最初から映像で観る人を想定して舞台を演出しています。演劇人からしたら考えられない行為でしょう。なにせ舞台は一回限りの「生」の体験が醍醐味なのですから。
こんなことがありました。同企画の第3弾はクドカン(宮藤官九郎氏)が総合演出で、「大人計画(松尾スズキ氏が主宰する劇団)」のメンバーが出演しました。無観客で映像を前提とした舞台は、複数のシーンに分けて演じられました。
真上からのカット、うなずく役者のアップなどドラマ撮影のようにカット割りされ、類を見ない斬新な舞台中継作品に仕上がりました。それは同時に、演劇の一回きりの舞台空間と生身の役者の熱量がいかに素晴らしいかを、逆説的に教えてくれました。
これは演劇に限らず、スポーツも音楽も同様でしょう。無観客試合もオンラインの配信ライブも、生の空間を観客と共有できない欠落感はどうしても拭えない。
コロナ禍を乗り越えた暁には、世界中のエンタメは爆発すると思います。ライブの価値を再認識した表現者たちがいままで以上に一音たりとも、一台詞たりとも、ワンプレーたりとも気を抜くことのない、さらにパワーアップしたエンタメが待っているのではないでしょうか。
――生のエンタメを多くのファンが待ち望む一方、いまだに「エンタメは不要不急」という意見も聞かれます。
【田中】感染対策が重要であることは当然です。他方で世界中の多くの人びとが、むしろエンタメやスポーツの価値を再認識したはずです。
コロナ禍で対面のコミュニケーションの機会が減り、社会の閉塞感が高まるなか、そうした負の空気を和らげるものは何か。人びとが多様な価値観を尊重し、寛容さを保つためには何が必要か。ワクチンだけではパンデミックによる傷は癒えないでしょう。いまこそエンタメやスポーツの出番なのです。
――欧米と比べて日本は、エンタメを支援する意識が低いともいわれますね。
【田中】健全で寛容な社会をつくるためには、エンタメやスポーツが不可欠である。そんな意識が、国民レベルで醸成されることを祈っています。マスクと同様に、文化を守ることにも税金を割くべきです。
これは政治家や役人だけの問題ではなく、エンタメを提供する当事者であるWOWOW自身の課題でもあると思います。
「日本のエンタメを文化として守る」という気持ちをどこまで込めていたか。そこまでの「フィロソフィー」をもって社会や子供たちに伝えていたか。政府に助けを求めるばかりではなく、エンタメに携わる我々自身の覚悟が問われていると思います。
ドイツ政府による文化・芸術分野の手厚い支援策が話題を呼びましたが、これはまさしく、国民レベルで文化・芸術への意識が高いことの表れでしょう。
その昔、ナチスが文化・芸術表現の多様性を排除・制限してきた歴史の反省が国民に根付いているのです。サステナブルな社会を形成するためには、多様な文化を尊重する必要があり、その根幹の一つがエンタメであることを日本にも根付かせたいですね。
更新:11月21日 00:05