――コロナ禍の閉塞した情勢を見渡すと、ウイルスだけではなく、我々人間自身を「鬼」と捉えることもできるかもしれません。
【小松】仰るように、疫病自体も恐ろしい存在ですが、コロナ禍は人間の醜さを浮き彫りにしたと解釈することもできます。現代に限らず、ペスト(黒死病)が流行していた中世ヨーロッパでは、いわゆる「魔女狩り」が横行しました。
悪魔の手先である「魔女」が疫病を蔓延させていると見なされ、処刑されたといいます。このように善と悪を明確に区別するのは、一神教の世界観です。
一方で、日本のように多神教でアニミズム(すべてのものに霊魂が宿っているとする考え方)を重んじる社会では、善と悪の区別が曖昧です。鬼と人間を紙一重の存在と捉えるのは象徴的だといえます。
誰もが鬼になりうるように、誰もが新型コロナに感染する可能性をはらんでいる。我々が脈々と抱いてきたこのような「鬼観」を保てるならば、日本社会に漂う閉塞感が少しは緩和されるかもしれません。
――しかし現実には、自粛警察に象徴されるように、同調圧力がもたらす問題が指摘されます。
【小松】平時には問題が露呈しなくとも、このたびのコロナ禍のような危機に直面したとき、人びとは自分にとっての「鬼」を見つけて攻撃してしまうものです。先の大戦の際も、国民はお上の言うことを鵜呑みにし、それから逸れる者を排除しました。
ほかにも明治時代に神仏分離が発令されたとき、たんに神道と仏教を区別するだけではなく、仏教や寺院を排斥する廃仏毀釈が起こった。仏像は壊され、僧侶は非難の対象とされるなど、運動は過激化しました。
現代でいえばコロナのみならず、分煙ではなく禁煙しか許さない声が聞かれるのも、私からすれば過剰反応にみえます。同調圧力はどの国にも存在しますが、とりわけ日本は、危機や時代の転換期に立ったときに排他的な風潮に陥ってしまう気がしてなりません。
更新:11月25日 00:05