2021年02月13日 公開
2022年10月20日 更新
「M-1グランプリ」の審査員を務め、いまなお現役で舞台に立ち続けるオール巨人氏。妥協を許さないその姿から“漫才の鉄人”とも呼ばれる。
漫才に懸ける並々ならぬ思いの原動力は何か。新型コロナ禍によって世の中に閉塞感が漂うなか、笑いが果たす役割とは。(聞き手:Voice編集部・中西史也)
※本稿は『Voice』2021年3⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。
――いまやお笑い芸人はネタのみならず、テレビのバラエティ番組やロケ、ワイドショー、ドラマなど多岐にわたり活躍しています。芸人が活動の幅を広げることについてはいかがお考えですか。
【巨人】良いと思います。漫才はあくまで、跳び箱でいう踏切板であって、そこから別の場所に跳んでいくのもありでしょう。
ただ漫才師ならば、「漫才があったからこそいまの自分がある」という思いは決して忘れてほしくない。「ダウンタウン」だって、もともとは漫才をきっかけにあそこまで登りつめたわけです。
昔は「漫才ブーム」といわれた時代があったけど、いまはもっと広い意味での「芸人ブーム」やと思います。もしもすべての芸人が一斉に仕事を休んだら、テレビ番組は成り立たなくなるんちゃうかな。
――巨人師匠がピン芸やコントではなく、漫才にこだわるのはなぜでしょうか。
【巨人】ピン芸は、誰かと息やテンポを合わせる必要がないですよね。でも二人になるとリズム感が問われるし、相手の言葉も聞き取らないといけない。小道具を使い、芝居をするコントももちろん素晴らしいけれど、やはりすべての芸の原点は漫才だと思う。
僕らが吉本に入った当初、笑福亭仁鶴師匠はピン芸で劇場が揺れるほど笑いをとっていました。その力量は間違いなく凄まじい。一方で、二人の掛け合いが組み合わさった漫才のほうが爆発力のメーターは大きい。
(明石家)さんまは基本的に一人で活動してきたけれど、一時期、兄弟子の(明石家)小禄と漫才もしていたからね。おいでやすこがも普段はそれぞれがピン芸人ですが、二人の強みが合わさることで、M-1の会場を沸かすほどの相乗効果を生んでいます。そういう意味でも、漫才には無限の可能性があると感じますね。
更新:11月22日 00:05