2020年11月12日 公開
――2017年11月2日配信の「ABEMA Prime」で、タレントのパトリック・ハーラン(パックン)氏が「憲法改正に注目しているのは国内の皆さんだけではない。2020年に、地球平和の象徴であるスポーツ祭典をこの国で開く、そのときに世界で唯一の平和憲法を放棄するのか」と発言した際、小松さんがすかさず「改憲=平和主義を捨てる、ということでは必ずしもないことを併せて伝えなければならない」と補足したのが印象的でした。
【小松】パックンが言いたかったのは「日本の憲法9条は平和主義なので、それを改正するのは平和憲法を捨てること」ということでしょう。しかしその言葉だけでは、一面的な見方を視聴者に与えてしまうと感じました。
憲法改正といっても、対象となる条項はさまざまです。それに必ずしも9条の文言を変えることが、戦力の不保持を謳った同条の理念を放棄することになるとは限らないでしょう。
そもそも戦争の違法化は国連憲章に明記されており、日本国憲法だけが掲げている理想ではありません。私は情報発信の場を仕切っている以上、ゲストの発言で言葉足らずな部分があればフォローする責任があります。
――2人のやり取りを観ていた視聴者は、憲法改正において多様な側面を知ることができたでしょうね。
【小松】もちろん、パックンの意見に賛同したり、私の見方のほうこそバイアスがかかっている、と捉えたりする視聴者もいたでしょう。私は、イデオロギーとして右に寄せたいとか、左の考えを打ち消したいと考えているわけではありません。
日本の平和のために、最高法規である憲法をいかにベストな形にしていくか、との視点が重要です。必ずしも軍事力を高めることが戦争に直結するわけではないのはもちろん、脅威に備えることで平和を担保する考え方もあるでしょう。目的に対していかなる手段が最善なのか、突き詰めた議論を促すのが私の役目です。
――2018年1月1日の「BS朝日 新春討論 5時間スペシャル」では、当時の安倍政権を「史上最悪の政権」と批判するジャーナリストの青木理氏に対して、小松さんは対案の提示を促しました。青木氏が「僕はジャーナリストであり、対案を出す立場ではない」と返すと、小松さんは「対案がないと説得力が伴わない」と重ねました。このときはどのような思いだったのですか。
【小松】青木さんは安倍政権に対して非常に批判的な姿勢をとられていますが、当然ながらそのスタンス自体は尊重しなければなりません。どんな政権でも負の側面は少なからず存在するし、取材に基づいて権力に切り込む青木さんの姿はリスペクトしています。
ただ、「史上最悪の政権」とまで言うのであれば、何を基準にそう判断しているのかを聞きたかった。政治に限らず人が物事を判断するときは、自らが好ましいとする理念があるからこそ、それに該当しないものを悪いと捉えるでしょう。
ならば青木さんにとって、安倍政権に代わる理想の政権とは何なのか、望ましい総理は誰なのか、といった疑問が視聴者には生じるはずです。
一方で、私が申し上げた「対案」という言葉を批判する向きがあるのも承知しています。ジャーナリストは現状を分析して不足している点を指摘する存在であって、対案を示す必要はないとの考えです。
番組で青木さんは、反骨のジャーナリスト桐生悠々の「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」との句を取り上げ、「鳴き続けるのがわれわれの仕事だ」と反論されました。そこまで仰るのであれば、加えて青木さんの理想とする政治や社会は何なのかを知りたかったですね。
――同番組でジャーナリストの長谷川幸洋氏は、「政権を批判するのがジャーナリストの仕事だと定義するならば、いつまでもアンチ政権ということになる。私のジャーナリストの定義はまったく違う」と、青木氏とは異なる考えを示しました。
【小松】権力の監視は間違いなくジャーナリズムの役割の一つではあるけれど、それ自体が目的になっていてよいのか。個別の政策や政治理念に基づいて是々非々で判断するべきでしょう。
民主主義国家の日本において正当な手続きで選ばれた政権である限り、その存在を頭ごなしに否定することは、国民の負託を蔑ろにしているとも言えます。
更新:12月03日 00:05