2020年06月25日 公開
2022年06月13日 更新
――人類は技術を発達させ生きてきましたが、自然を利用して生きる力は次第に失われているのかもしれません。それでも私たちは進化しているといえるでしょうか。
【海部】要は「適応」です。よく人びとは遠い先祖に2つのイメージを抱きます。ひとつには「石器しかもっていない可哀そうな人たち」と見下してしまうか、「昔の人たちは心が美しくて、現代の人は堕落している」と崇めてしまうかのどちらかです。
でも、いずれも誤りだと思います。ただ生まれてきた時代が違って、見るものや経験するものが異なっているだけで、結局、人間の中身は変わっていない。言い換えれば、人類は状況に合わせて変化ができる生き物なわけです。
それを可能にするのは、どれだけ「強い気持ち」をもっているかにかかっています。
――「強い気持ち」ですか。
【海部】新型コロナ禍に対しても、働き方やライフスタイルの変化を迫られれば、順応できるのが人間です。9月入学も、「マイナス点があるからできない」ではなく、「マイナス点はあるが全部潰して、絶対に実現しよう」と本気になれば、私たちにできないはずがありません。
――なぜかつての人類には、危険を省みず未踏の島をめざそうという気持ちが芽生えたのでしょうか。
【海部】やはり「新しい世界をみてみたい」という好奇心が彼らを突き動かしたのでしょう。
台湾から沖縄への渡航は、無理矢理追い出されたとか、そこに行かざるを得なかったという理由で行くようなルートとはとても思えない。
大陸から逃げたかったのなら、わざわざ舟を造らず、陸続きのどこかに行けばいいだけです。旧石器時代の彼らは、よほど挑戦してみたかったのでしょうね。
私はそんな先祖に対し、テクノロジーを進歩させる現在の人類の姿をみます。空を飛ぼうと飛行機をつくったり、酸素もない宇宙に行ってみたり、新しいことに挑戦して社会をどんどん変えていく。その気持ちは3万年前から始まっていました。
――人間には、未知のものを明かしたいという「DNA」が刻み込まれているのかもしれません。そうした力は「神様が人類に授けたのでは?」とすら感じてしまいます。
【海部】「好奇心や挑戦心は人間らしさの根本的要素」という意味では、そうなのかもしれません。子孫を残し続けるという行為のなかで、未知のものを解明する必要はないし、芸術や音楽も生物学的には要りません。
しかし、人間だけが"生存に不必要なこと"に熱中する能力を授けられている。こういった本能は、人類が未知の島をめざしたことにも繋がっていると感じるのです。
――航海に挑戦するなかで、海を渡ってきた日本人特有の性質を垣間みることはありましたか。
【海部】凄い祖先たちがいたという実感はありますが、当時の世界で彼らだけが凄かったというつもりはありません。また、生まれ育ちが人格や信条を形成するといいますが、国民性とは、時代がつくり上げたイメージという面があります。
たとえば、「日本人は保守的だ」というイメージがありますが、私は違和感を覚えますね。本当に保守的だったら、私たちの先祖は海を越えて島を開拓したりしません。
時代と社会によって意識は変わっていくものだと思いますが、国民性があたかも永久不滅だと思い込んでいる。私はその固定概念を壊したい。人間は変わられると考えているからです。
――どの時代に遡るかで、日本人の定義も変わるでしょうからね。
【海部】日本人の先祖が、現代の中国や朝鮮半島からやってきた事実を、不愉快に思う方もいるようです。
しかし、人類の起源を遡れば、すべてがアフリカに行き着く。争いは動物界の常であり、人間においても対立のない世界を実現するのは困難だとは思います。
しかし、われわれは他の動物たちとは違って、「同じ先祖をもつ仲間」という事実を認識することができる。そのうえで異なる国の価値観やアイデアを「多様性」として認め合った先に、革新的な価値が生まれるのではないでしょうか。
更新:12月04日 00:05