2020年01月06日 公開
2020年01月08日 更新
では、彼らはどのような「覚悟」や「道徳」を胸に生きていたのか。それを考えるための参考として、一つ『甲陽軍鑑』に記されている有名な事例を挙げましょう。
あるとき、武田信玄の家来の二人、関東牢人あがりの赤口関(あこうぜき)左衛門と上方牢人の寺川四郎右衛門が喧嘩沙汰を起こしました。寺川が赤口関の胸ぐらを摑んで壁に押しつけたのに対し、赤口関が反撃して脾腹(わき腹)を蹴りつけ、寺川が気を失うという顚末(てんまつ)です。
このとき、武田信玄は二人をいかに裁いたか。
実は、このとき信玄は、双方を死刑にしました。その理由は、喧嘩に際して、どちらも刀を抜かなかったからです。
武士が胸ぐらを摑まれたら、それはもう喧嘩ではなく、戦(いくさ)であると認識しなければならない。
にもかかわらず、刀を抜かなかったというのは、要するに命の安全を保障したうえで喧嘩をしていることである。命の安全を保障したうえでの戦いなど、武士にはありえない。その時点で、武士道失格だというのです。
とにかく武士は、何か身に迫る問題に直面した瞬間に、刀を抜き、人を斬る覚悟を持っていなければいけない。その精神を「脇差心(わきざしごころ)」といいます。
これほど血なまぐさいリアルな現場から出てきている思想は、近代の武士道の理論には出てきません。新渡戸稲造が書いた『武士道』も、実は本当の武士道とはいえません。
新渡戸自身も本当の武士道だとは思っていない。武士道の名前を借りて、日本人が大切にしてきた道徳の話をしているのです。
外国人向けに説明するときには、「日本の道徳は武士道からきている」といえば、すぐに納得してくれます。
つまり実際のところ、新渡戸は、キリスト教と同じような、文明国の道徳が日本にもあったことを、外国人に対してわかりやすく主張したかった。
それで武士道を持ってきたのです。しかし、実際の武士道とは、「脇差心」に端的に表われている戦闘者の道徳なのです。
更新:11月23日 00:05