2019年12月12日 公開
8月11日には、地下鉄構内で催涙ガスを使い一般市民を巻き込んだ。ボランティア医療隊の女性が目を撃たれたのもこの日で、翌日は市民による空港での抗議の大規模集会によって1000便を超える飛行機の離発着がキャンセルされ、空港は大混乱となった。
空港大集会は最終的に、空港の利用客のなかに紛れてデモ隊を挑発した中国『環球時報』記者や深センの私服警官が拘束され暴行を受けたことで、警察隊が突入、強制排除した。このとき、中国当局は香港デモに対して「テロのめばえ」と批判した。
香港の内幕雑誌『前哨』によれば、8月以降、中国から約3万人の広東公安警察が香港警察に応援部隊として送り込まれ、また3000人の北京、上海、広東の公安警察が偽記者、偽市民として送り込まれて世論誘導工作を行なっていたという。水面下で中国当局が本格的にコミットし始めたのだ。
さらに香港のカオスを深めたのは8月31日のデモ。2014年の雨傘運動が起きたきっかけとなる、行政長官選挙改革に対する中国全国人民代表大会常務委員会の決定があったのが同年8月31日で、この屈辱の日を思い起こすための大規模デモが予定されていた。
この直前の27日に林鄭月娥行政長官は、「あらゆる香港の法律を使って混乱を収める責任がある」と発言し、初めて緊急状況規則条例(緊急法)の発動をほのめかせ、30日に雨傘運動のリーダーであった黄之鋒(ジョ・シュアウオン)氏や雨傘運動の女神と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)氏、香港本土派の立法会議員の鄭松泰氏ら、社会活動家や議員らを一斉に逮捕した。
彼らはすぐに保釈されたが、平和デモ主催者であった民間人権陣線はデモの開催取り消しを発表せざるをえなかった。
だが結果として、8・31デモはこれまで以上に激しいものとなり、警察は太子駅を封鎖してデモを暴力鎮圧し、また初めて暴徒鎮圧用の高圧放水車を投入。実弾発射警告を行なった。
この太子駅におけるデモ鎮圧で死者が3人出た、という未確認情報が流れた。「死者はいない」という警察発表を多くの市民は信じなかった。
追いつめられた林鄭長官は9月4日、ついにデモ隊が要求する五大訴求のうち、逃亡犯条例改正案の完全撤回を発表した。
しかし、中国政府・香港政府・香港警察に対する市民の怒りと不信はあまりに深く、条例改正案撤回が議会に承認されても、デモ隊はこれを勝利として受け入れていない。
スローガンは「五大訴求、欠一不可」(五大訴求を全部聞き入れること以外の選択肢はない)。
10月1日に北京詣でを果たし、中央政府と対応を擦り合わせた林鄭長官は10月5日、ついに1967年の香港左派暴動以来の緊急法を発動し、覆面禁止令が出た。
緊急法は、秩序を取り戻すためならば、いかなる命令も行政長官と行政会議の判断で発令できるという、一種の戒厳令だ。
林鄭長官は8日、香港自身で問題に対処するとしながらも、状況が悪化すれば、中央政府への支援要請を排除しない、とコメントした。
これが香港基本法18条に基づく解放軍出動要請を念頭に置いたものだとすれば、1989年の天安門事件のような状況が絶対起こらないとはいえない。
更新:11月22日 00:05