2019年07月24日 公開
2022年05月25日 更新
そこで、現在の給付水準でやり繰りできる暮らしの実現を提言したい。
キーワードとなるのは「助け合い」と「コンパクトな暮らし」だ。本来、「公助」と「自助」のあいだには、「共助」が存在するはずだ。この「共助」を十二分に活用しようというのである。
いまこそ、政府には高齢者同士による助け合う仕組みをメインにした「共助」の制度化に向けた政策サポートを求めたい。
今回、金融庁の審議会の報告書の最大の欠点は、「公助」である年金の不足を、いきなり資産運用という「自助努力」に求めたことにある。
こうした一足飛びの発想に多くの国民は「いまさら2000万円も貯められない」と反発したのである。
今回の問題をめぐっては国会もメディアも百家争鳴だが、「共助」の視点が抜け落ち、窮屈な議論ばかりが先行している。いつから日本では多くのサービスが有料となってしまったのか。
かつてはお互い様の精神に溢れる社会であった。困った人がいれば当たり前のように助け合ってきた。「おすそ分け」の文化ももっと普及していた。
誰もが他人に手を差し伸べられる社会に戻すことができたならば、現役世代も年金受給世代も生活費を抑制できるだろう。
老後の生活費が不足する高齢者は、まずは集まり住むことだ。居住費がハードルとなるだろうから、政府は福祉的施策を取り込みながら高齢者向けの低家賃の住居を提供する。代わりに、そこで暮らす高齢者には助け合いの輪に加わることを求める。
ここでポイントとなるのは、集まり住んだ高齢者はなるべく自分のことは自分でできるように自立度を高めていくことだ。ほとんどの用事が歩いて完結できるようなコンパクトな街づくりも同時に進める必要がある。
自分のことを自分でするようになれば、ここでも余分なお金を使わずに済む。資産の運用もよいが、元手がなくともできる「自助努力」はあるのだ。
じつは、「共助」や「自分のことはなるべく自分で行なう」ということは、人口減少社会を乗り切るためには不可避である。
少子化で勤労世代が激減していくのだから、高齢者も含めて、誰もが自分のできる範囲で何役もこなさなければ社会は回らなくなるのは当然だろう。
そもそも金融庁の審議会の報告書が提案したように、自助努力で資産を貯めたとしても、老後の暮らしが安泰になるとは限らない。“引っ越し難民”を見れば一目瞭然だろう。
「お金を倍支払う」と交渉しても、希望日に引っ越すことができなかった人もいた。人口減少で支え手が減っていく社会では、どれだけ貯めてもお金が腐ってしまいかねないのである。
人口減少で日本はどんどん変わっていく。もはや年金を年金制度の枠内だけで解決できる時代は終わった。
安倍首相は報告書をなかったことにする暇があるのならば、人口激減の影響も織り込みながら柔軟な発想をもって国民の老後を考えるべきである。
更新:11月23日 00:05