2019年04月30日 公開
2023年02月15日 更新
その後、加藤さんが足を運ぶようになったのが、愛媛県今治市の大山祇(おおやまづみ)神社であった。
瀬戸内海に浮かぶ大3島に建つ大山祇神社は、全国にある山祇神社の総本社である。古来、多くの武将から崇敬を集め、武運長久を祈って多数の武具が奉納されてきた。現在、国宝・重要文化財の指定を受けた日本の甲冑の実に約4割が、この神社に収蔵されている。
「父の時代には写生でしたが、その後は写真を使うようになりました。しかし、国宝級の甲冑などは、写真を撮ることができない場合もあります。そんな時はやっぱり紙と鉛筆。父がやっていた時と同じです。細部まで甲冑の形状を丁寧に書き写していきます」
同神社には木曾義仲が奉納したとされる「熏紫韋威胴丸(かわおどしどうまる)」や、源頼朝の奉納と伝わる「紫綾威鎧(むらさきあやおどしよろい)」などが収蔵されている。
「表だけでなく、裏がどうなっているかまで見ていく必要があります。紐の組み方や通し方などは、裏側まで確認しないとわかりませんから」
かつて父が全国行脚をして集めた資料に裏付けを取る作業も重ねた。
「甲冑は時代や地域によって形状が異なります。紐の組み方1つ間違えれば、時代が合わなくなって恥をかくことになります」
求められる知識は膨大なものとなる。
「テレビで時代劇などを見ていても、時代性を考えるとおかしな甲冑が使われていることがしばしばあります。『この時代にこのような鎧はない』とかですね。例えば、鉄砲が大量に合戦に使われるようになると、胴の部分の強度を増すため、鎧の形状も素材も変わっていくんです」
鉄砲が広く普及してからは、その強力な貫通力に対応するため、胴の部分に鉄製の板物が多く使用されるようになる。
「そういった部分を仔細に見ていくと、史実と違った鎧が時代劇で使われていることが珍しくありません。以前にテレビ局に指摘したこともあるのですが、『予算の関係でそこまではできない』と言われてしまいました。しかし、文化は正しく伝えていかないといけないと思うのですがね」
博物館からの依頼によって、甲冑を修繕、再現することもある。
「何百年も前の甲冑ですから、劣化は進んでいきます。大切な国宝や重要文化財をしっかり保存していかなければならない。そのためには当時の技法を正しく継承していくことが大事です。
使用されている革1枚でもそれがどのようななめし方をされているのか、それがわからないと再現できません。紐が染めてあったら、それがどのような原材料で、どれくらいの時間をかけて染めたものなのか。そういったこともすべて知らないと、間違った甲冑になってしまうわけです」
加藤さんが一貫して追い求めているのは、「本物の甲冑の再現」。職人の頑ななまでのこだわりには、圧倒されると共に深い恐れさえ感じる。
更新:12月04日 00:05