2017年11月16日 公開
2024年12月16日 更新
当たり前の話ですが、国家にはそれを支える骨格が必要であり、それが「憲法」です。憲法は英語でコンスティチューションと言いますが、これは同時に「体格」という意味でもあります。つまり、「あなたはいいコンスティチューションですね」と言うと、「体格がいいですね」という意味になるのです。
これが転じて、まさに国家の「骨格」としての憲法を意味するわけですが、残念ながら戦後の日本の「骨格」たる日本国憲法は、決して立派とは言えず、アメリカがつくった「ふにゃふにゃ」の、属国憲法にすぎません。
つまり日本は1945年に、たった一度の敗戦で、自らが数千年の歴史のなかで培った骨太の体格を捨て去り、アメリカから言われるまま、ひ弱な体格に自らをつくり替えたのです。国家の体格がひ弱では、その下で生まれた若者がひ弱になるのは当たり前のことです。
平和運動家を自称する人々からは、「平和憲法」として崇め奉られる日本国憲法ですが、「平和を願う憲法」ではあっても、その存在のおかげで日本が平和だったわけではありません。戦争を恐れて「九条壊すな!」と叫ぶ人たちがいますが、九条によって日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれません。
70年前まで、世界の平和と秩序を乱す国は日本だと思われていたのです。しかし、そのように思っていたのは、植民地を支配する宗主国のイギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカなど白人国家の指導者や国民であって、支配されていた植民地の人々から見れば、日本は彼らの独立への「希望の光」そのものでした。
そのような白人国家の恥ずべき暗い過去と、日本の輝かしい栄光の記憶を日本人から消し去るために施されたのがWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)であり、武力を全面的に放棄させる日本国憲法だったのです。
日本国憲法は、占領統治を行いやすくするために制定された暫定憲法のはずでした。アメリカ側も、GHQが去った後はさっさと変更されるものだと考えていました。マッカーサーが犯した非常に大きなミスは、憲法改正の手続きを難しくしすぎたことです。
(本記事は、ケント・ギルバート著『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人 <PHP文庫>』より一部、抜粋したものです。日本人に対するGHQのさらなる洗脳工作については、現在発売中の本書をご覧ください)
更新:12月28日 00:05