2017年08月11日 公開
2023年02月27日 更新
富山県内に拠点を置く総合機械メーカー・不二越の本間博夫会長が「富山で生まれた人は極力採用しない。閉鎖的な考えが強い」と語り、物議を醸した。それは、東京への本社機能を移転する方針を示した際の発言だった。
はたしてグローバル企業はどこに本社を置くべきか。企業の本社が東京に一極集中する現状は正しいのか。富山発の不二越会長の発言は、今後地方企業の在り方を議論するうえで大きな問いを投げかけたように思える。
同じく富山に関係の深い、YKK株式会社の会長・吉田忠裕氏(吉の字は土に口)は、企業の本社機能の在り方について独特な経営哲学をもつ。吉田氏は、今年8月に出版される『YKKの流儀』(PHP研究所)のなかで、「本社は東京になくてもいい」ときっぱり言い切り、実際に2016年3月には本社機能の一部を開発・製造拠点が集中する富山県黒部市に移転した。本書で、取材・構成という立場で参画させていただいた私には、富山での企業活動に強いこだわりを見せる吉田氏の姿勢が最も興味深かった。
YKKグループを支える事情の柱は2つ。ファスナーのYKKと、建材のYKK APである。それぞれに社長がおり、両社の会長を務めるのが吉田氏だ。吉田氏はある日、当時のYKK社長の猿丸雅之氏(現YKK株式会社副会長)に本社は「どこにあったらよいか」と尋ねたところ、猿丸氏はこう答えた。
「本社機能がどこにあるかは、実務をするうえで問題にはなりません。極端な話、バーチャルでもいいですし、世界中のどこにあってもかまいません。生産拠点の八割が海外ですから、東京でやり取りを行なう必要がないのです」
ファスナー事業のYKKはグローバルに展開している。そのため、東京にこだわる必要がないというのが、猿丸氏の考え方だ。
一方で、吉田氏は建材のYKK APの営業本部長とのやり取りも明らかにした。
YKK APには、開発本部、生産本部、営業本部があり、開発本部と生産本部は本部長が黒部(富山県)にいるが、営業本部長は東京に駐在している。
本社機能移転の話が出た際、東京本社にいる営業本部長が「私は東京本社で常勤しなければなりません」と答えた。それに対し吉田氏は反論した。
「ちょっと待て。君の仕事は東京でできるのか。開発の進捗状況や生産の遅れなどを生産本部長、開発本部長と話をしようとしたら、むしろ黒部にいたほうがいいんじゃないのか。東京はいつでも行けるよ。お客さんは日本中にいるんだから、黒部市にベースがあってもいいよね」
メーカーであるからこそ、ものづくりの現場が最も大事であり、管理部門をその近くに置いたほうが効率的だ、というのだ。
本社の一部移転に際し、吉田氏が最も配慮したのは、「社員が住みやすい場所であるかどうか」だった。先発隊として引っ越した社員に、会社側が聞き取り調査をしたところ、早々に課題が浮かび上がった。
その一つが、交通インフラの未整備だった。黒部にはバスや電車の路線が少なく、通勤や買い物、子どもの送り迎えには車が不可欠である。夫婦で暮らすにも、車が二台ないと生活が不便だという声も聞いた。
電車やバスの接続の悪さが課題に挙がったことに対し、吉田氏はこう指摘する。
「せっかく新幹線で来たのに、駅で長時間待たされたら嫌になるのは無理もありません。スイスは田舎町でも特急列車が到着するのに合わせてバスが出発するようになっています」
住宅に関しても、富山は持ち家率や広さは全国最高水準だが、都会暮らしの長い人にとっては広すぎるという不満があった。
もちろん、会社としても、無料バスや住宅の整備を進めてきたが、まだまだ不十分だったという。
そこで、吉田氏は動いた。「黒部は自然がいっぱいというだけでは駄目だ。住み始めた人が『いいところだ』と感じるようにならなければいけない。働きやすさだけでなく、家族が快適に暮らせるようにしたい」と考え、次世代住宅街「パッシブタウン」の整備に踏み切ったのだ。
2025年までに約250戸が完成する予定で、現在までに第一期から第三期街区の117戸が完成している。すべて完成すれば、総入居者は約800人。YKKグループの社員だけでなく、一般の方も入居可能だ。パッシブタウン内には仕事と子育てとの両立を支援するための事業所内保育所や、カフェ等の商業施設も併設している。
この住宅の最大の特徴は、エネルギー消費量が北陸の一般的な住宅に比べ5割から6割削減できる点だ。パッシブタウン建設は、エネルギー問題への挑戦でもあるという。
更新:11月21日 00:05