2017年03月10日 公開
2017年05月09日 更新
東日本大震災から6年が経つ。原発災害の被災地・福島の復興は着実に進んでいる一方で、JR常磐線の竜田駅―小高駅間(避難指示区域内を含む)はいまだ運休しており、完全復旧には至っていない(2020年3月末までに全面再開予定)。
交通網の未整備は、ヒトやモノだけでなく、現地の空気や一般住民の声まで遮断する。「福島県産の野菜は放射能にまみれていて食べられない」「福島は人間が住める場所ではない」といった噂や情報は、全世界に広がっている。その情報が「事実」に反しているにもかかわらず。
クレア・レポード氏はこうした福島に対する風評被害に疑念を抱き2年前から昨年9月まで福島県南相馬市で生活をしていた。被災地における震災の健康被害について正確な情報を世界に発信するために、現在もエジンバラ大学(スコットランド)で研究に励む。彼女が福島に移住を決めたきっかけは何だったのか。そして、福島で何を見て、何を知ったのか。日本に一時滞在しているクレア氏に会うために南相馬市立総合病院を訪ね、フクシマの印象や風評被害の実態について話を聞いた。
――クレアさんは、2015年5月から1年半にわたり、南相馬市立総合病院で勤務しながら、原発事故による放射能の影響について研究をしていました。いまから6年前、海外から、3・11の状況をどうご覧になっていましたか。
クレア 当時、私はオレゴン州立大学に通う大学生でした。自宅で弟が「クレア、日本で大地震が起きたぞ!」と急に大きな声を上げたので、テレビをつけると、これまで見たことのない映像が目に飛び込んできました。さらに、地震と津波の影響により福島第一原発の事故が起きたときは、「地球の反対側で恐ろしい事が起きた」と思い、強い衝撃を受けたのを覚えています。
――福島にはどういった印象をもたれましたか。
クレア テレビで原発事故の映像を目にしたり、周囲の人びとが放射能の恐怖を語るのを耳にして、「放射能が人体に及ぼす影響は少なからずあるだろう」と何となく思っていました。震災から時間が経過するにつれ、福島に関する報道が減少していたこともあり、自ら真実を知るために情報を得ようとは思わなくなりました。
――転機となったのは、2年前にエジンバラ大学の修士課程に在籍していた際に、福島で調査活動をする日本人研究グループによる特別講義を受講したときですね。
クレア 講義を受けて、これまで福島に対して抱いていたイメージが完全に覆されました。彼らが示した研究結果が、私の「知っていた」情報とは正反対だったからです。
その講義では、「福島居住者の幼児と子どもに対して行なった大規模なスクリーニング検査の結果、検知可能な内部被曝による悪影響は見られなかった。一方で、現地では糖尿病や高血圧など放射能とは直接関係ない生活習慣病の増加や、仮設住宅への避難に伴う諸問題が顕著に見られた」ということが説明されました。
私は「現地で調査されたデータが、なぜ報道やネットの情報と乖離しているのか」という疑問を覚えました。それと同時に、「福島の実態をもっと知りたい。そのためには現地に赴き、自分の目で真実を見る必要がある」と強く思うようになり、福島への移住を決断したのです。
――その後、クレアさんは日本人グループの紹介を受け福島に住むことになるのですが、ご両親はそれについてどう思われたのでしょうか。
クレア 最初はとてもビックリしていました。私は、動揺する両親に、被災地の放射能に関する論文や記事をすべて見せて、福島の放射能は決して危険なレベルではないということを丁寧に説明しました。客観的なデータを示されて安心したのか、両親も冷静に私の話に耳を傾けるようになり、最後は福島への移住を認めてくれました。私を信じて快く日本に送り出してくれた両親には、いまでも感謝しています。
――素晴らしいご両親ですね。現在在籍する南相馬市立総合病院ではどのような活動をされているのですか。
クレア 当初は修士論文を執筆するための短期留学というかたちを取っていましたが、修士号を取得してからの1年間はフルタイムで勤務していました。
主に病院が発表する英語論文の編集や翻訳を手伝い、勤務の合間を縫って、研究に関する記事をネットで発信したり、論文の執筆をしていました。
更新:11月21日 00:05