2016年12月19日 公開
2023年01月12日 更新
こうした「冤罪」の結果、否が応でも生じてしまうのが「風評被害」「冤罪被害」だ。
たとえば、「豊洲」の空騒ぎで豊洲のイメージが悪化し、移転後の市場を消費者が敬遠するようにでもなれば、市場関係者は大きな実害を被ることになる。実際、すでに豊洲の不動産の価値は低下しつつあると一部で報道されている。そして最悪、その風評被害ゆえに移転が中止されでもすれば、これまで豊洲に投入された5000億円とも7000億円ともいわれる「血税」が無駄になってしまう。つまり空騒ぎをしている都民自身が、ブーメランのようにその被害を受けることになってしまう。
ただし、もっとスケールの大きな風評被害が、新幹線をめぐる風評被害なのだ。
新幹線に対して「三バカ」だの「ばらまき財政の亡霊」だのと誹謗中傷が繰り返された結果、北陸新幹線は計画されてから40年以上も整備されずに放置されてしまった。もしもそうした誹謗中傷がなければ、粛々と計画が実行に移され、数十年前に整備が完了していたことは間違いない。しかしここまで整備が「遅れた」ことで、首都圏や太平洋ベルトへの経済・人口の流出が加速、結果、北陸地方は数兆円規模の巨大な「経済被害」を被ったことになる。
とはいえ、北陸はまだまし。他の日本海側地域や東九州、四国等は、新幹線に対する何十年にもわたる不当な誹謗中傷のあおりを受け、いまだ新幹線は未整備だ。その結果、それらの地域は天文学的な規模の「風評被害」「冤罪被害」を被り続けているのである。
ただし、公共事業に対する「冤罪」問題の最大の被害者は、地震や洪水の被災者、とりわけ災害の犠牲になった方々だ。
その典型例が鬼怒川の堤防決壊で起こった。
昨年9月、鬼怒川水域を襲った豪雨で堤防が決壊した結果、合計で8名の貴重な人命が失われ、多くの家屋が被害を受けた。
そもそもこの決壊を起こした堤防は、かねてよりその危険性が指摘されていた。行政はその問題に対処すべく、決壊対策の公共事業を計画し、その工事がこれから始められようとしていたまさにそのとき、豪雨が鬼怒川を襲い、堤防が決壊したのだ。
しかし、もし行政の公共事業費が十分に確保されてさえいれば、その工事はすでに終了していたのであった。
ところが、行政の「公共事業関係費」は「公共事業バッシング」の論調のなかで大きく削減されていたのが実態だ。
図2に示すように、いまとなってはピークの半分以下にまで削減された。ご覧のように、そのように削減した先進諸国はわが日本一国だけ。諸外国はすべて増加、なかには2倍、3倍にまで拡大している国もある。さらにいうなら、社会保障、教育、防衛なども含めたあらゆるわが国の政府の主要支出項目のなかで、ここまで大幅に削られてしまったものはほかにない。
結果、全国各地の洪水対策の費用もまた、大きく削られた。そのあおりを受け鬼怒川の堤防工事は遅延、工事開始まであと一歩のところの豪雨で無念にも決壊してしまったのだ。
こう考えれば、鬼怒川の堤防決壊の被害者は、公共事業に対する「冤罪」の被害者だと位置付けることができるのである。
故人の冥福を祈るとともに、この「真実」を1人でも多くの国民に理解していただきたいと思う。
しかし、公共事業の「冤罪被害」を受けたのは鬼怒川決壊の犠牲者だけではない。ありとあらゆる自然災害において、こうした被害がいま拡大しつつある。このたびの鳥取地震や熊本地震、そして東日本大震災の被害を、いま一度こうした眼差しで再評価することが必要だ。
そしてまさにいま、全国民を巻き込んだ未曾有の大災害が起ころうとしている。数十万人の犠牲者と、100兆円から300兆円を超える被害が危惧されている首都直下地震や南海トラフ地震だ。対策さえしっかりとしておけば被害は何分の一にも抑えることができるのだが、公共事業に対するあらぬ感情的な誹謗中傷が続き必要な対策が遅れてしまえば、それも不可能になる。
そうなったとき、その「冤罪被害」は日本国民全員にまで及ぶことになる。そんな悪夢を避けるためにも、公共事業に対する「感情的な賞賛・誹謗中傷」と「理性的な批判・批評」を厳に区別し、理性的な公共事業をめぐる世論そして政治判断が下されんことを、心から祈念したい。(文中敬称略)
更新:11月22日 00:05