2016年11月07日 公開
2023年01月12日 更新
こうした石垣島と台湾の歴史的な繋がりを一つのモデルとして捉えることで、日台関係をよりいっそう深化させるための方策が見えてくる。日台がお互いに手を携えて協力してきた分野は、これまでの農業技術の分野などから、現在の工業化、情報化、高齢化といった社会の情勢を踏まえ、さらに広がりつつある。
たとえば、ガン治療技術である。私は四年前に大腸ガンが見つかり、手術をしたことがあった。台湾における死亡原因は、日本と同じくガンが1位である。手術が無事に成功したあと、私は最先端とされる日本のガン治療技術を台湾にも導入したいと考え、積極的に働きかけてきた。その甲斐あって、台北の病院に日本の重粒子治療設備を導入し、2年後に治療を始める計画が進められている。
また、私は今年7月、日本で『日台IoT同盟』(講談社)という本を出版した。イェール大学名誉教授の浜田宏一先生との対談をまとめたものである。
この本のテーマになっている「IoT」とは「Internet of Things」の略。簡単にいえば、従来はインターネットを利用するためにはパソコンや携帯電話を使わなければならなかった。だがIoTは、それこそ身の回りにある、あらゆる製品を対象にしている。すなわち、あらゆる製品に埋め込まれたセンサーがネットに繋がることによって、新しいサービスや仕組みが生まれるのだ。私たちの日常生活すら一変させかねない革新的技術で、世界の企業が開発を競い合っている。
私は、「モノとモノを繋ぐインターネット技術」であるIoTがそれこそ「第四次産業革命」となって、世界の産業を大きく改変する潜在力を秘めていると確信している。そこで数年前から、このIoTを経済の起爆剤として用いるように提言してきた。
すでに、日本でもいろいろなところでIoTの試みが行なわれている。ハイテク産業とは程遠いようなイメージがある農業でも、IoTが活用されていることから、これからの石垣島と台湾との交流、とくに経済交流について参考となるものが少なくないと考えている。
この夢のような技術であるIoTにも問題点がある。
「日本には優れた技術はあるが、なかなか事業として成立させられない」
これは、あるアメリカ人の技術者が漏らした一言である。台湾と日本がいかにして経済交流を深化させていくかを考えたとき、じつに示唆に富んだ言葉である。
IoTの分野において、日本の技術はたしかに世界のなかでも先行している。ところが、その技術の多くが自社内に閉じこもったサービスのため、事業化や世界展開に困難があるのだ。
その点、台湾はグローバル市場のニーズに応じて、半導体などの部品を大量に生産する技術に優れている。私が総統だったとき、巨額の出資によって半導体の生産体制を構築した。現在、台湾ではこれを基礎にした半導体製造会社が10社ほどあり、IoT用半導体の開発を行なっている。
このように、日本企業の研究開発力と台湾の生産技術が力を合わせれば、世界市場を制覇することも夢ではない。日本経済は再び成長路線に乗ることができるだろう。台湾がIoTの一大生産拠点になれば、雇用も増える。GDPの伸び率も3~4%は維持できるだろう。
こうした日台間の協力関係は、石垣島における戦前や1960年代のパイナップル産業の導入のかたちをほうふつさせる。あの当時、パイナップルの栽培や加工に一日の長があったのは台湾であった。そこで「技術導入」というかたちで、台湾人は石垣島のパイナップル産業を助けたのである。
今後、日本がIoTを軸とした経済政策を打ち出すのであれば、優れた生産技術をもつ台湾との協力は不可欠となろう。また台湾から見ても、IoT政策を進めるのであれば、日本の先行研究を抜きにしては語れない。
ここに、研究は日本、製造は台湾という――まさに石垣島における農業の発展に台湾からの移民の人びとが大きく寄与したのと同様に――日本と台湾が手と手を取り合うようにして連携し、経済協力の深化を進めていく形が生まれるのである。
台湾も日本も、共にアジアで最も民主化の進んだ国家である。人権や平和を重んじるなど、共通の価値観を有しているうえ、両国とも四方を海に囲まれた島国であるなど、利害が一致するところが多くある。
私がこれまで何度も繰り返し強調してきたように、台湾と日本はお互いに運命共同体である。日台間には正式な国交がないながら、経済面や文化面において非常に密接な関係を維持し続けてきた。
99年、台湾で9・21大地震が発生した際、真っ先に台湾に駆けつけ、救助を行なってくれたのは日本の救助隊である。現地入りした小池百合子都知事(当時、衆議院議員)の活動は、台湾ではよく知られている。
さらに、2011年の東日本大震災の際、世界で最も多くの義援金を届けたのは台湾であった。この義援金は、政府が主導した結果ではない。台湾の人びとの日本に対する思いが自然と表れたものなのである。
これからも台湾と日本は運命共同体として、密接な協力関係をいっそう深化させていかなければならない。いまや、このことに異を唱える者はいないと思う。
最後に、私の石垣島初来島を受けて、台湾南投県から5歳のころに石垣島に移住した湯川永一氏(琉球華僑総会八重山分会会長)は、「李登輝元総統の来島はオバマ米大統領の広島訪問と同じくらいの出来事」と評していると聞いた。まことに光栄に感じる次第である。同島の名蔵ダムに立つ台湾農業者入植顕頌碑は、台湾と石垣の融和の象徴として、また台湾と日本の絆と友好の証しとして、両国の針路を永遠に照らし出してくれるものと信じる。
更新:12月03日 00:05