2015年03月09日 公開
2016年11月11日 更新
――ところが江戸の大衆が注目するなか、杉の市は見せしめにされます。ピカレスクと大衆との関係性も残酷なまでに冷徹に描かれています。
萬斎 人柱となり祀り上げられ、人びとの欲望を一身に集め見せしめとなる因果は、いつの世にもありますよ。そして悪人を祀り上げなくてはならない理由が、“善人”の側にもあるのでしょう。
善と悪はいつだって簡単にひっくり返ります。狂言の演目『月見座頭』のなかで、盲人と健常者が一緒に酒を飲んでいたのに、最後にその健常者は別人になりすまして、盲人の杖を取り上げ、押し倒して去っていく場面があります。盲人は、それが酒を飲み交わした人とは別人だと思っているから、「世の中には良い人もいれば悪い人もいる」と呟いて帰っていく。狂言は古典芸能でありながら、現代にそのまま通じる不条理を表現することがあるのです。
――狂言の芸が使えない局面もありましたか。
萬斎 仏教の五戒(殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒〈おんとう〉)でいう殺生と邪淫の部分です。狂言には「すっぱ」と呼ばれる小悪党は登場しますが、絶対に人を殺しません。せいぜい盗みや、ばくち打ち、虚言を吐くなど、かわいげのある悪事を働く程度です(笑)。
――観劇した方々は狂言師としての萬斎さんのポテンシャルの高さを再認識したでしょうね。
萬斎 いろいろご意見をいただきました。三谷幸喜さんは「嫉妬を覚えました!」、『のぼうの城』の犬童一心監督も「やられました」と。僕の潜在能力がここまで引き出されたことに、ある意味で口惜しさを感じてくださったようで。
――演出の栗山民也さんにとっても最高の褒め言葉ですね。
萬斎 僕にとっても本当に幾重にも運命的な作品でした。杉の市にもう1つ共感したのは、彼は盲人としての運命を、障害や劣等感を生きるエネルギーに変えたことです。だからこそ大衆は彼の強烈な生き方に魅了されたのだろうと。僕自身も、狂言師の宿命を背負って生きることに負の意識を抱くこともありました。宿命を力に変える部分で、杉の市と類似するものを感じます。私ももう立派な中高年ですが、杉の市の享年28の人生を生きてみて、己の生き方についても考えさせられましたね。
――己といえば、意外にもインターネットでエゴサーチするのがお好きだとか。
萬斎 案外、役づくりに参考になるので毎日してますよ。1月に放送されたTVドラマ『オリエント急行殺人事件』(脚本・三谷幸喜)で日本版・名探偵ポワロの勝呂武尊を演じたときは、かなり強烈なキャラクターづくりをしたので、ちょっと検索してみたら、「すごい、素晴らしい」と同時に「あの声、ウザイ」という意見も見られました(笑)。
――萬斎さんは、狂言では「このあたりの者でござる」という名もなき庶民から、舞台や映像では平知盛、安倍晴明、細川勝元や夏目漱石など、日本の歴史上の名だたる人物を演じてこられています。それらの役を通じて、「日本人のアイデンティティ」とは何だと感じますか。
萬斎 雑食性ですね。前の文化を否定せず、すべて捨てずに次の時代へ引き継ぐ性質です。いま2020年の東京五輪・パラリンピックの文化プログラムの内容を議論する検討会に参加して、まさに「日本人のアイデンティティをどう捉えるか」をコンセプトに構想を練っていますが、日本人の雑食性は世界標準で見たら、かなり稀有ですよ。たとえばヨーロッパなら、ある王権を倒すと、すぐにそれに代わる新しい王権を据える。日本はそうではない。伝統芸能の世界で生きていると、より強く実感します。日本には公家文化である舞楽や雅楽が残り、武士の時代に広がった能狂言が残る。さらに町人の時代になって興った歌舞伎があります。近代になってからも新劇や小劇場や舞踏、現代のAKB48まで、多様な舞台芸術が並行して残っている。つまり、前のものを跡形も失くしてしまう文化ではなく、「すだれ文化」なのです。もったいないし、何かに使えるかもしれないから、どれも手放さず残しておく精神から助平根性とも言い換えられますが(笑)。
――そして世田谷区の劇場である世田谷パブリックシアターの芸術監督も務められています。国ではなくて世田谷という住民の意識が高いイメージのある1つの地域から、東京、日本、世界へと同心円状に芸術文化を発信してこられました。就任されて今年で13年目ですが手応えはいかがですか。
萬斎 たとえば新国立劇場で舞台芸術を上演するとなると、やはり国のフラッグシップ的な位置付けのコンテンツ、国の威信を懸けた作品でなければいけない使命があるような気がします。都立や県立も同様かもしれません。ですが、世田谷区の劇場というどこか遊撃手的な立場なら、ほかとは異なる尖ったものを作れるし、その自由さと求心力も備わっている。そのポジションを大いに意識して作品を展開してきましたし、クリエイターもスタッフも育ってきたと自負しています。
――モノづくりにおいて、適切なサイズとポジションだったのですね。
萬斎 一方、民間の立場で舞台を創作すれば採算性を一番に考えなければならない。となるとお客を呼べる役者と、親切なストーリー、視覚的にもわかりやすい装置といった「わかりやすさ」に向かうこともあるでしょう。もちろん、それを否定するわけではありませんし、その条件下だからできることもあります。ですが、元が取れれば、まるで紙コップのように捨ててまた次へ……、という創作になるのだとすれば、刹那的すぎる気もします。われわれは税金や公的なお金で運営をしていますし、できるだけ再演に堪えうる作品、将来的に劇場や地域の財産になる作品を発信しなくてはならないと考えます。
――小中高生や初心者を対象に「狂言教室」にも長年取り組まれていますね。
萬斎 狂言は「省略の美学」といわれますが、演じる側の都合で、わかりにくさと不親切があるのなら、多少なりとも手ほどきはしたほうがいいでしょう。ですから過去に、辞書機能を付けたパンフレットを刷るとか、解説を電光掲示板に流した時期もありました。しかし「想像力を働かせるもの=不親切」と捉えるいまの時代の風潮には首を傾げます。不親切ではなく、自分の好きなように観て、想像して構わない面白さが狂言にはあるのですから、周りと異なる解釈をしていいのです。
――結局、誰に対してもわかりやすくて親切なものは、飽きやすく、観る側が受け身になりがちですね。
萬斎 古典芸能は、享受する側が視覚や聴覚、いろいろな感覚を使い、時を超えて繰り返しアプローチしても揺るがない、豊かなエンターテインメントです。そういった面白さを伝えるプログラムも劇場には必要なんですよね。そのうち、若い感性の息子にも手伝ってもらおうかな……なんて考えています。
野村萬斎(のむら・まんさい)
狂言師
1966年、東京都生まれ。祖父・故六世野村万蔵及び父・野村万作に師事。重要無形文化財総合指定者。「狂言ござる乃座」主宰。東京芸術大学音楽学部卒業。国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマに出演するなど幅広く活躍。1994年に文化庁芸術家在外研修制度により渡英。文化庁芸術祭新人賞、紀伊國屋演劇賞など、受賞多数。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督。
<掲載誌紹介>
韓国系団体が慰安婦小説を全米の図書館に送付するという。「強制連行」し、「性奴隷」にしたと描写し、そのうえナチスと旧日本軍、ホロコーストと慰安婦問題を同じだと言い募る。日本を貶め、誤った歴史認識を世界に広めたいのだろう。
3月号の総力特集は、いつまでも交わることのない日韓「歴史戦争」。櫻井よしこ氏と田原総一朗氏は、朝日新聞の「慰安婦報道検証 第三者委員会」の報告書について激論。産経新聞の黒田勝弘氏は、韓国の「対日戦勝70年」の記念行事に疑問を呈する。また、「反日プロパガンダ」に対して、反撃すべきだと説くのは弁護士のケント・ギルバート氏だ。さらに、生き証人として99歳の元朝鮮総督府官吏の西川清氏にご登場いただいた。ご自身の経験から「日本の軍や官が慰安婦を集めたことはなかった」と断言し、昭和10年当時は「朝鮮人と日本人が仲良く桜の下で酒を酌み交わすほど平穏」だったと証言する。日韓の歴史認識が交わる日は来るのだろうか。
第二特集は、「ピケティと格差社会」と題し、日本経済の現状と処方箋について考えた。さらに、緊急特集として「イスラムテロの脅威」を取りあげ、イスラム過激派についてジャーナリストの丸谷元人氏に解説していただいた。
巻頭の対談では、外交の専門家である宮家邦彦氏と佐藤優氏が、対ロシア、韓国、中国を中心にユーラシアの地政学の重要性を説いた。
ぜひご一読いただきたい。
更新:11月23日 00:05